2017年07月17日

『霊幻道士 こちらキョンシー退治局』

 新宿・シネマカリテの「カリコレ2017」上映作品のうちの一本ということですが、タイトルから分かる通りに「霊幻道士」で「キョンシー」ですよ。なにがオリジナルかと言い出すと大変な話ですが(『鬼打鬼』でしょうか)、われわれ80年代の小学生にとっては『霊幻道士』(『殭屍先生』『Mr.Vampire』)であるわけで、そしてこの2017年の新作はまぎらわしいタイトルのいただきではないスピリットがあふれているわけですよ。だって、『霊幻道士』では林正英(ラム・チェンイン)の弟子を演じた錢小豪(チン・シウホウ)が今作では道士を演じるんですから。(http://yugen-rairai.com/reigen.html)




 というわけで、連日満席になっている本作を見てきました。もうねチン・シウホウのアクションがあるだけで多幸感が出まくりですよ。『霊幻道士』では腕は立つけど女に弱い軽薄さもある弟子だった彼が、本作では渋みもあれば過去を引きずる痛みも持つ師匠としてアクションを見せてくれるの、ほんとうにこういうのがみたかったんだよーと。以前彼主演でジュノ・マックって監督によるキョンシーものもあったんですが、どうも設定がメタっぽくそこは忌避してしまいました。アンソニー・チェンも出てて、キャストは最高だったのに。願わくば、古典的な道士の正装姿をとも思いますが、それはまたの機会に。

 キョンシー退治を執り行う「清掃局」の局長をつとめているのは『霊幻道士3』で道士を演じたリチャード・ンですが、実に矍鑠としたもので、これも嬉しくなってしまいました。予告でも切り抜かれている「少しくらいは英語も分かる」ってセリフがあったんだけど、これはギャグかな。香港だからそこそこの英語はというレベル超えて、彼、イギリス留学で演劇学んだインテリだもんなぁ。「清掃局」はひとつの部署としてお札書きとか武器造りとかある程度分業制になっていて、90分の映画の尺では必ずしも活かしきれたとは言えないけど、彼らにエピソード割り振れば、いくつか話はつくれそうで、この設定でTVシリーズ化しろという人がいるのも分かります。
 主演の青年、チョンティンを演じるベイビージョン・チョイは昭和の香港映画見てた人間からすると線が細くも見えますが、アクション映画で実績を積んでいて中堅に入りかかっていると言ってもいい俳優なのかな。ヒロインの女キョンシーを演じるリン・ミンチェン、キョンシー歩きをさせないためにセグウェイに乗らせるあたりの小技に笑いつつ、役柄が特異なので演技力とかは考えなくていいななどと思わせながらも、チョンティンとの出会いのシーンで唇を噛み切り彼の生命力を吸い出すシーンをラストに対応させて収束させるあたりの使い方はなかなか上手いものだと思いました。

 中盤に見せ場のアクションをひとつ入れてほしかったとか、ラストバトルはもう少し長く見せてほしかったとか、この辺「武術指導」的なポジションはいまどうなってるのかしらと注文はあるんですが、たしかにゴールデン・ハーベスト感のある香港映画を見れたことに比べればささいなことです。今年は『おじいちゃんはデブゴン』で石天さんを、本作でチン・シウホウを日本のスクリーンで見れたのでよい年です。うん、チン・シウホウの道士はもっと見たいなぁ。


霊幻道士 デジタル・リマスター版〈日本語吹替収録版〉 [DVD]
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posted by すける at 21:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・演劇・ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月27日

法正と張翼 『蒼天航路』王欣太(原案・李學仁) 

 いつかは書きたいと思っていつつも長尺過ぎてどう手をつければよいのかと放置していた『蒼天航路』ですが、いろいろ思うところもあり、まずは33巻から始めてみたいと思います。

蒼天航路(33) (モーニングコミックス)


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 法正が初登場の濃いイケメンに「地図を写したか」と問うに、青年が「刻まれた知略も」と返すシーンですね。地図とはある知性が抽象化されたものであり、青年は表面的な図像だけではなく、なによりもその知性を理解したのだというやりとりのこの場面は、『蒼天航路』本編の外まで生命力を持っています。

 ここで問う側の法正とは劉備入蜀の過程であらたに彼に仕えることになる参謀です。彼は対曹操戦では惨敗続きの劉備軍を率いるや漢中争奪戦であざやかな完勝に導きます。三国志演義では智謀面での功績は諸葛亮に一本化されるので空気感もありますが、『蒼天航路』での法正はとても印象的に描かれています。
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 (画像ガタガタしててすいません)地図に刻まれたのはこうした「法正の軍略」なわけです。では法正の智謀を写したという青年は誰かと言えば、これは張翼という人物です。

 ここからやや脱線。張翼には正史での経歴に漢中戦に参加した経歴は書かれていませんが、裴松之が注に引く「趙雲別伝」では趙雲の指揮下にある姿が描かれています。蒼天はここを参考にしてるはず。で「趙雲別伝」というのは、趙雲の遺族が彼の事績を讃えるためにまとめたものということで、史料の信用度としてはどうかと見られているものではあります。これについては「いつか書きたい『三国志』」さんの『三国志集解』趙雲の項の翻訳を参照してください。ネットにある三国志人名事典の類を見ると張翼の漢中での活動については「趙雲別伝」によると注記していたり、あるいは記述で触れていないなど、みなさん考えながら扱っている記事が多いなという印象を受けますね。

 とはいえ『蒼天航路』はここでは張翼が漢中にいるという記述を採用するのであり、それはこの青年がこの場面(219年)で法正から受け継いだ知略を抱いて、蜀の滅亡(263年)に至るまでおよそ45年を魏と戦いつづけることになるという『蒼天航路』本編のスパンを越えた射程をたった二つのコマで暗示しうるからです。
張翼は最終的には左車騎将軍まで官位を上げて、右車騎将軍の廖化と並んで蜀の最後を支え、「華陽国志」によれば「前に王平・句扶あり、後に張翼・廖化あり」と讃えられるようになります。廖化も関羽とのからみでやはり蒼天に登場し(廖化と関羽の関係は正史に記述あり)、関羽の武を廖化が、法正の知を張翼が蜀において継承していくというラインがおぼろげに提示されているわけです。こうした読み方を可能にしてくれることが『蒼天航路』を丹念に読む楽しみの一つだと言えるでしょう。
タグ:三国志
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posted by すける at 01:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月29日

『ライチ☆光クラブ』古屋兎丸 原案・東京グランギニョル

 タイトルを知っていながら、長いこと放置して、今さらながらに読んだのは、あるツイートを目にしたことがきっかけだった。

ライチ☆光クラブ (f×COMICS)

 遠ざけていた理由はわりと分かりやすく、あまりにも丸尾末広的な絵柄で東京グランギニョルの舞台『ライチ光クラブ』を原作としたマンガを描くということの意味を得心しかねていたからである。何周遅れかで希釈した頽落した意味でのサブカルではないのか、そのような困惑があったのだ。

 と、そのような疑問は結局読めば解消するのである。このマンガ作品はキャッチな文句である特異な少年たちの特異な少年たちの「耽美」な物語が主題ではない。そうではなく、そこにあったのは凡庸さに怯え「耽美」に憧れるということそのものの救いがたい凡庸さ、キッチュな衣裳の内実を欠いた貧しさだった。それは通過儀礼の失敗というかむしろ反通過儀礼の失敗というべきだろう。少女に手ひどくはねのけられた「廃墟の帝王」の口から出てきた言葉は「螢光中だからって馬鹿にするのか?」であり、ここに少年たちの地下活動の真実がある。
 ただし、この作品において、このように黒い油と黒い煙に覆われた老いた工場街の螢光町からどれだけ目を背けようと人生を規定された、凡庸な成長を恐れる少年たちの戯画化は著者の愛によってなされており、そのことによって生じるものは愚かな少年たちへの嘲笑ではなく、ある痛みの共有だろう。

 マンガ表現である本書とわたしは残念ながら未見の東京グランギニョル、1985年初演時のシナリオ(だって小学校を卒業したくらいだぜ)との異同の程度は今となってはなかなか分からないのだけれど、ある程度見当はついて、それは光クラブ創立時のリーダーだった田宮に焦点をあてた前日譚としての古屋兎丸オリジナル作品である『ぼくらの☆ひかりクラブ』からも読み取れるのではないか。
『東京グランギニョル Endless Art』というHPの記事で、東京グランギニョル版で主人公ゼラを演じた常川博行氏が映画版『ライチ☆光クラブ』について「これは『ライチ光クラブ』ではなく『ぼくらの☆ひかりクラブ』の映画化なのでは? それなら、解る。「ぼくら」は、兎丸ワールドだ」と言及したコメントが紹介されている。これはさすがに主演者による卓見というべきであろう。後続する言葉はマンガ版の受容のされかたについての違和感も表明しているものだが、肯定的に捉えるにせよ否定的に捉えるにせよ、『ぼくらの☆ひかりクラブ』のテーマ性がマンガ版の『ライチ☆光クラブ』を規定していることは間違いないのではないか。『ぼくらの☆ひかりクラブ』で描かれた部分のストーリーが映像部分に直接含まれていないとしても、『ぼくらの〜』の映画化と捉えることには批評的な根拠がある。
 東京グランギニョル版『ライチ光クラブ』と、古屋兎丸『ライチ☆光クラブ』の質的な差異は、『ぼくらの☆ひかりクラブ』から引き出されるもので、それは本編の冒頭において、貧しいドイツ語の数詞(古屋による四コマ漫画「常川君の日常」ではラジオの講座でドイツ語の単語をひろう姿が描かれる)と奇妙なニックネームで呼ばれた少年たちが、『ぼくらの☆ひかりクラブ』の幕切れにおいては彼らのごく当たり前で平凡な名前で明記されるところではっきりとするだろう。

 この作品の感想を検索してみると、「耽美」やグロテスクを主題とした『ライチ☆光クラブ』のようなマンガを読むことから卒業しなければ、というような言葉を見ることもあった。しかし、『ライチ☆光クラブ』というマンガはそもそもそのように読者から卒業されることを祈念した作品ではないかと思われる。そうして読者に去られることによって物語はやっと完結することが出来るのだ。しかし、その時には卒業することが出来なかった彼らを思いだしてほしいと、思う。


ぼくらの☆ひかりクラブ 上[小学生篇]
ぼくらの☆ひかりクラブ 上[小学生篇]

ぼくらの☆ひかりクラブ 下[中学生篇]
ぼくらの☆ひかりクラブ 下[中学生篇]
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posted by すける at 14:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする