ところで、「ソバは耳食」という言葉自体は確認はできるのだ。木村義雄十四世名人の『ある勝負師の生涯』文春文庫版の巻末に寄せられた、息子で自身もA級棋士であった木村義徳九段の「父の思い出」という文章に、名人の言葉として紹介されている。ただ質問者の聞いた文脈では、「蕎麦は消化に悪いので縁起が悪い」という意味だったようだが、名人は「耳食なので噛まずに食べるのが通だ」という意味合いで使っていたようだ。どちらにしても史記から来ているらしい「耳食」の辞書的な意味である耳学問というニュアンスからは外れている。
名人の場合は、蕎麦は音で食べるものだという江戸っ子的なセンスが「耳食」というすでにあった言葉の語感と結びついた気がしないでもない。この江戸っ子的な食事観は、豆腐は木綿か絹かという升田幸三との言い争いも思い起こさせる。木村名人は食事の作法で江戸っ子であることをとりわけ意識して演じていたようにも見受けられる。木村名人の食事のスタイルを紹介したものとして、芹沢博文九段から河口俊彦八段が聞いた話という「木村十四世名人の鰻重」(将棋ペンクラブログ)という記事もあり、うな重からうなぎを取って食べるというのはいささかやり過ぎであろうと思うが、これも多分に通人、粋人というパフォーマンスの感が強い食べ方ではないだろうか。息子の木村九段も「父の思い出」でエピソードを紹介した後、蕎麦は噛んだ方が当然うまいというように書いているのが面白い。
ある勝負師の生涯―将棋一代 (文春文庫)
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SFつながりでこのセリフのことだと思ったんですが違うんですね。
『ある勝負師の生涯』文春文庫版が’90発売なのでそれを読んだのかもしれませんね。
ちなみに、私も子供の頃から「蕎麦は噛むな」と教えられていました。
蕎麦は噛まないというのはとりわけ江戸っ子的粋や通に関わる文化として一定の広がりがあるようですね。それを「耳食」という言葉とからめて表現していたのは木村さんくらいしか例がないのかなとも思っていましたが、吾妻さんの作品にあったとは。ちょっと検索してもタイトルが見当たらないのですが、短編でしょうか?
木村さんの個人的な使い方かと思っていたのですが、もう少し広く使われていたのかもしれないですね。
アズマニア3などに収録されています。
蕎麦は噛まないというのは、蕎麦のデンプンが穀物で唯一、生で消化出来るというのも関係してるんじゃないかと思っています。
「蕎麦に咀嚼は必要ねーんだよ」みたいな