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2016年05月04日

『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』大塚英志

 スタジオジブリのフリーペーパー『熱風』に連載されていた『二階の住人とその時代』については一度触れたことがあるけれど、書籍としてまとめられたのであらためて。

二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史 (星海社新書)
二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史 (星海社新書)

 大塚が『リュウ』の編集に参加することから横目で眺めることになる『アニメージュ』周辺の雰囲気を語るにあたって初期編集スタッフである尾形英夫と鈴木敏夫の出自として『アサヒ芸能』から始めて、さらに徳間康快を媒介に真善美社にいたる流れはよい。『アニメージュ』=アニメ誌というトートロジー的な切り出し方からは出てこない系譜をたどることが出来るのは非常に大きい。
『アサヒ芸能』に関しては竹中労『ルポ・ライター事始』の記述に接続される必要もあるだろう。竹中は60年当時の副編集長生出寿について触れながら『アサヒ芸能』の方針についてこのように述べる。「エロティシズムと赤旗と、すなわち俗流大衆路線の衣をまといつつ反体制・反権力、異端の思想を煽動すること」
 この文章が書かれた81年ごろの竹中の『アサヒ芸能』評価はもはやストリート・ジャーナリズムの志を失っているというものであるが尾形英夫は『アサヒ芸能』に関わるのが61年ごろで、竹中が「一九五九〜六一年にかけて私は彼(生出)と共働してストリート・ジャーナリズムの一典型をつくった」という時期にかかる。大塚の『アニメージュ』を語るには一見奇妙に見える書き出しに応えて、このような奇妙な補足をしておきたい。真善美社の線からは花田清輝のアヴァンギャルド芸術や総合芸術についても引っ張ることが出来そうな気もするが、これは今回置いておこう。

 こうした一般に「アニメ誌」としてン認識されている雑誌のアニメ以外の側面について「『サブカルチャーを軸としたクラスマガジン』としての側面は最終的には『アニメージュ』によって具体化していく」や「『ニュータイプ』は当初、『ボーイズライフ』をイメージしたサブカルチャー誌として構想され、アニメーションはその特集の一つに過ぎなかった」というあたりの本書での記述は、芦田豊雄さんが亡くなった時のトークショーでの元『OUT』編集長大徳哲雄さんの「経営面から考えて、『OUT』をサブカル誌からアニメ誌へ切り替えた…」と言いかけて、「サブカルという言い方はイヤで、カウンターカルチャーと言いたい」という言葉と重ねてみると面白い。わたしはやはり『アニメージュ』を切って『OUT』を選んだ人間なのでしばしば記述を『OUT』に引き寄せて考えてしまうのだけれど、創刊からしばらくの『アニメージュ』を『キネマ旬報』と『ロードショー』的路線の混在と見て、『OUT』を『映画芸術』に大塚が喩えるというあたりの機微もまた面白い。

 また『アニメージュ』創刊にあたっても深くかかわったということで浪花愛さんへの言及もけっこう多かったが、「小さな世界観の中でファンタジーを描くと不思議な才能があることに気づいて」オリジナルの作品を描いてもらったが「その才能をうまく引き出すことはできなかった」というあたりのちょっとモヤモヤした、文章が興味深い。大徳さんもトークで「すごく人気があったけど、ぼくにはよく分からなかった」ということ言っていたのでなかったか。否定的な言及ではなく、作家性の本質をつかみそこねたのではというひっかかりがどこかにあるような。「小さな世界観」というのはたしかにキモで、たとえば「シャア猫」というのがなにか切実なものを表現しているのだろうとは思いながら、なぜ「シャア猫」?というのが子供のころには分からず大人になったら分かるだろうかと思っていたら、いまでもよく分からなかったりするのだ。
 その浪花さんについてもテレビアニメの各話のスタッフロールから演出や作画の傾向の相関性を見取りはじめる世代の一人としての描写があり、これは以前書いたふくやまけいこさんや五味洋子さんと同じ感性というか批評性である。(http://sukeru.seesaa.net/article/386108446.html
 この他、この世代に共通するリスト・データベース作りへの執着によって支えられた批評性の形成や、正面玄関のハードルは高いが交友関係を通じて通用口・裏口はゆるゆるである(アニメとは違うがこうした事情はわたしもよく分かる)当時の出版業界の状況から徳間書店の二階の住人たちが集まりはじめるという梁山泊的状況のスケッチは、大塚英志の当事者であるがゆえの錯誤も込みだというのを前提にしながら読むとやはり面白い。本書ではさらりと名前が出てくるだけだが同時代にはアニドウやゼネプロというまた別の若者たちの場所もあったのだということにも目配せをしておきたい。

『リュウ』についての言及は案外少ないのだが、『幻魔大戦』(『リュウ』版)の打ち切り通告を石森章太郎に行ったのが大塚だというのは、ひとつの転機として象徴的だろう。また、これまで書いてきたような表現の系譜の中にアニメーションの位置づけを示してきた本書が「日本のサブカルチャーは確かに何かの寓話であり続けてきたけれど、しかしそれを寓話として受けとめる足場を」失ってしまったと指摘するときに、この断絶があらためてどのような歴史に接続されようとしているのか、ということを考えさせられてしまうのだ。



あの旗を撃て!―『アニメージュ』血風録
あの旗を撃て!―『アニメージュ』血風録

決定版ルポライター事始 (ちくま文庫)
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posted by すける at 23:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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