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2016年09月02日

『死の鳥』ハーラン・エリスン

 ハーラン・エリスンの日本における短編集の二冊目である。まだ二冊目なのかと思うけれども、一方では仕方ないのだと思うところもないでもないかもしれない。すべての作品は既訳があり、これならもっと早く出ていても良かったのではないかと思うけれども、一方では仕方ないのだと思うところもないでもないかもしれない。実際にはいつかは出るかもしれないが、それが自分が生きているときではないのではないかくらいには考えていたのではないだろうか。しかし、ここに刊行されたのである、本当に。

死の鳥 (ハヤカワ文庫SF)
死の鳥 (ハヤカワ文庫SF)

 アンソロジーなどで既訳をそれなりに読んでいるので、初読のものを。
「竜討つものにまぼろしを」は今あらためて読まれることでより強いカウンターとしての効果がにじみ出る作品であり、現実を愛せなかったものが幻想のなかではたして本当に愛や勇気を見つけることが出来るのかと問いかけてくる。
「北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中」という強烈なタイトルの短編は、登場人物の配置などにスチームパンク的に現代風の想像力を見せる出だしから『ミクロの決死圏』的人体探検の旅へ……と思いきや肉体の中が内的世界を映しだすという展開を見せてくれる。表題作は世界の始まりから終わりまでのスケールと非常に個人的な出来事を並行し重ね合わせながら描いて傑作。やはりこの時期にSFは自分たちがSFを書いていることの意味を集中的にあらためて発見しつつあったということを感じさせ、ディレイニーのエンパイア・スターなども想起させられる。

「『悔い改めよ、ハーレクィン! 』とチクタクマンはいった」や「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」といった代表作クラスの短編(これらが個人短編集に入っていなかったとは!)をまとめて読むことで、詞を変え曲を変えながらも、エリスンはやはりただひとつの歌を歌い続けているのだと思わされる。世界に対峙する実存と言いたくなるのだ。豊浦志朗を少し変えて言うならば、敗れた犬の牙のブルース、と。こうした抵抗者の視点と「ジェフティは五つ」ではっきりと提示されたノスタルジーは、はっきりと反時代的であり、そしてそれゆえにエリスンの短編は忘れられたり再発見されたりしつつも永続的な生命を持つことだろう。そしてすでに失ってしまったものを守って施しも拒否して孤独に暴力と戦うとショッピングバッグレディの物語「ソフト・モンキー」によって本書は締めくくられるのだ。

世界の中心で愛を叫んだけもの (ハヤカワ文庫 SF エ 4-1)
世界の中心で愛を叫んだけもの (ハヤカワ文庫 SF エ 4-1)
タグ:エリスン
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posted by すける at 15:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | SF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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