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2016年09月14日

『ゲームブックの楽しみ方』安田均

 安田均氏によるゲームブックについての論考。

ゲームブックの楽しみ方―ファイティング・ファンタジー (現代教養文庫)
ゲームブックの楽しみ方―ファイティング・ファンタジー (現代教養文庫)

 タイトルに楽しみ方とはあるが、ゲームブックとはそもそも楽しいものではないか。ゲームブックの熱心な読者なら、そのことは前提としてあるはずだ。では、楽しみ方とはゲームブックをいまだ経験していない未読者に向けられたものだろうかというと、それだけではなく、ゲームブックの面白さの根拠がどこにあるのかということを経験者にもあらためて明らかにすることが本書の眼目だろう。

 ゲームブックの最大の特徴と言ってよい分岐というシステムに関して、未読者に説明されるときにはしばしば「右に行くか左に行くかを選ぶ」「選んだ先で結果が違う」という形で説明されることが多い。それは間違いではないのだけれど、しかしゲームブックの提示する選択はそのようなものに終わらないことを著者は説明する。
 イアン・リビングストンの初期の代表作『死のワナの地下迷宮』に触れた第五章「死のワナの選択肢」では、最初の大きな分岐において、一見右か左か以上の情報が無いように見えながら、先行者の足跡の数がその後の展開のヒントになっていることが指摘される。逆に言うと、書き手はあのような描写をした以上、そこから得られる推論から極端に外れる展開はさせてはいけない。それは意外性とは言わない。
 これはかつて創土社で開催されていたゲームノベルコンテストで、編集から「執筆に関するアドバイス」として提示された文章とも関わることだ。ここで提示されている「情景描写を手抜きしない」「意味のない分岐を作らない」「読み手に思考する余地のない選択はなるべく作らない」というアドバイスを別個のものとして読まず、ひとつのものとして扱うことがゲームブックを書く際の強力なヒントとなるだろう。
 一方、読者の側は作者からこのように描写に落とし込まれた意図を読むことが「楽しみ」となってくる。それは右か左かの行き当たりばったりな賭けとは違う水準のものだろう。やや話がそれるがゲームブックではナンセンスものは難しいという文章を以前読んだ気がする。基本的に作者と読者がセンス(意味)を共有することで、選択肢周辺の記述を読むことが可能になるので、その前提をひっくり返して選択と結果が合致しないタイプの作品は、ゲームとしてはストレスが多くなるかとはたしかに思う。ダメだという話ではなく、難しいという話なので、そのハードルを越えれば傑作は当然ありえるけれど。

 さて分岐に関して話を広げると、「ゲームブックの基本構造」というページを眺めると、特に分岐の合流で示される図が面白い。
 ゲームブックが分岐形式を取るときでも、まったく分岐させたままで進行させるということはまず無くて、常にひとつの大きな幹に回収しながら分岐と収束のブロックを積み上げてくというのが一般的だと思う。二者択一の分岐を各パラグラフの末尾につけてまったく合流させず、バッドエンドによる中断も含まない場合、累乗になるので九回選んでいるうちに、総パラグラフはゲームブックの基準である400をあっさり超えてしまう。これはあまり実際には採用されないやり方だろう。読者は読み進めていくにつれ、常に分岐で枝分かれしていく世界を目の前に提示されるのだけれど、実際には物語を収束させる強い力が働いているのだ。
 なお分岐のみの世界像でチャートを作ることも出来ないではなく、合流しているパラグラフを、分岐の別々の端にあると書くことも可能だろう。ほとんど攻略の役には立たないが、全体像が見えないプレイ途中ではこのように書くしかないというのも間違いない。
 ともあれゲームブックにおいては「分岐」が強調されがちなのだが、どう分岐させるかと同時に、どう収束させるかも作品の成否を決める重要な要素だろう。これは本書でもスティーブ・ジャクソン『火吹き山の魔法使い』を扱った第二章の「ストーリーとパズルの分岐点」においてストーリー進行の概念図を提示していることから感じ取ることが出来る。この簡略な図は、巻末に付された詳細なフローチャートと突き合わせることでより興味深いものになるだろう。基本的な分岐と合流の構造の上にジャクソンがどのような肉付けを行ったかが分かりやすくなるからだ。どのようにリスクとリターンを具体的な形で分岐構造の上に割り振り、それを大きな幹に回収し直したうえで次の分岐につなぐのかというテクニックをここから読み取ることが可能になってくる。

「ゲームブック」の中で魔法はどのようなシステムと相性がいいかという話ではジャクスンによる『バルサスの要塞』と『ソーサリー』四部作が対比して「ジャクソンの選んだ魔法」「ソーサリー・マジック!」の章で論じられており、これも非常に興味深い内容になっている。
 バルサスとソーサリーの、それぞれの魔法の役割の違いが作品全体の内容と対応するようになっていると指摘されており、わたしは個人的には魔法を「不思議なもの、制御のむずかしいもの」として扱い、選択後に起こるさまざまな出来事そのものへの叙述の比重が高いバルサスの魔法に惹かれるのだが、四部作を経験する過程で、プレイヤーの習熟度により魔法の選択の精度が上がり成長していくように構成されたソーサリーの魔法の特徴について、各巻ごとの選択肢の成否とその内容に分けて示した表などを見ると、直感的にプレイしているだけでは分からなかったことも一目瞭然となり、感嘆させられる。

 一方ではここで1990年に書かれたことから前進しているような状況もある。TBSラジオの『文化系トークラジオ Life』2016年08月28日放送分、「ポケモンGOのその先へ〜これからの『遊び』を考える」の「外伝」として公開されている音声ではゲームブックが言及されているのだが、ここでは『火吹き山の魔法使い』『シャーロック・ホームズ 10の怪事件』『ドルアーガの塔』三部作などの古典的名作の名前が挙がるとともに2013年刊行の『超時間の闇』に収録された山本弘「超時間の檻」についても触れられ「ループものとしてトライアル・アンド・エラーを繰り返す内容がゲームブックという形式にあっていて、今この時代に書くゲームブックとしてよく出来ている」と評価されている。
 バッドエンドを繰り返しながら読者に累積するプレイの記憶と、個別のトライでリセットされるはずの作中の主人公の記憶は、内的一貫性という点で矛盾があるのではと、本書では問題提起されている(P.39)のだけれど、そうした問題をもゲーム性そのものに組み込みながら更新していく作品があらわれるということは、ゲームブックに出来ることはまだあるのだなと意を強くするものがある。

(なお、この件に関しては、AVGのループものについて語る議論の中で『かまいたちの夜』が「ゲーム側でフラグの管理をしていない。フラグ(に相当する記憶)をプレイヤーの側に持たせる構造」であり、プレイヤー自身に記憶が蓄積されているなら,そこは別にいいじゃないという姿勢で作られたという話も考えておきたい。 「――「弟切草」「かまいたちの夜」から始まった僕らのアドベンチャーゲーム開発史(前編)」



 確認しておくと、本書であつかわれる「ゲームブック」とは基本的に「ファイティング・ファンタジー」シリーズである。なので、作品としては創元の国産ゲームブックなどの有名な作品は直接言及されることはない。けれども、スタンダードな作品群に対して向けられた視線から得られたものは、他のゲームブック作品を読む際にも適用されうるものだろう。そして何よりも本書で示されたゲームブックに関しての洞察は「ゲームブックを書くこと」にもかならず役に立つはずだ。残念ながら入手は現在難しい状態なのだが、なんとか目に触れやすい形にならないかと思う。そして本書の刊行から四半世紀、あたらしい『ゲームブックの楽しみ方』が書かれてもよいころではないかと期待するのだ。

シャムタンティの丘を越えて (Adventure game novel―ソーサリー)
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超時間の闇 (The Cthulhu Mythos Files)
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posted by すける at 01:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | ゲームブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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