1. わたしがSF休みにしたこと 
  2. 読書
  3. 『最後に鴉がやってくる』イタロ・カルヴィーノ

2018年09月07日

『最後に鴉がやってくる』イタロ・カルヴィーノ

 カルヴィーノの初期短編集が、国書刊行会「短編小説の快楽」シリーズからついに刊行された。一般に、ポストモダンの側面からの評価が高く、戦後のネオレアリズモ時代のことは等閑視されがちなカルヴィーノだが、わたしにとっては『くもの巣の小道』(福武が海外文学を出していた時代だ)が、初めてのカルヴィーノだったこともあり、この時期に思い入れがあるのだ。

最後に鴉がやってくる (短篇小説の快楽)
最後に鴉がやってくる (短篇小説の快楽)

 作品としてはやはり大戦前後に設定が置かれているものが多い。当然、『くもの巣の小道』ともつながる反ファシストパルチザンの経験が反映されたものも。世代、階級、都市と農村(「羊飼いとの昼食」)、あるいはファシストとパルチザンといった分断がイタリアの生活の中に入ってくる描写が多く、とりわけ「地主の目」における生活者と(余計者としての)インテリゲンチャとのそれは決定的ではないか、と。そうした分断はやがて抽象化された上で、リアリズムの描写を越えて寓話として『まっぷたつの子爵』『木のぼり男爵』『不在の騎士』といった「われらの祖先三部作」のような代表作につながっていくと言える気がする、というのはちょっと直接的すぎるかもしれないが、ネオレアリズモから、寓話そしてポストモダン期に至る過程にも切断と連続性はあるはずだろう。なによりも精神とイタリアの大地との分離と和解の物語については『木のぼり男爵』の執筆が待たれることになるだろう。

 それにしても「ある日の午後、アダムが」で、エスペラントではこのような意味の名前だと少年に教えられて、「エスペラント……あんたはエスペラント人なの?」と返す少女の台詞の瑞々しさよ。そして……会話の端々から「エリゼ・ルクリュ」「FAI」といった単語を通じて少年が父を通じてアナキストにかかわりがあることが読み取れるのだが、ファシストからの解放の幸福な時期を越えたときに少年はどこに行ったのか、どのような表情をしているのだろうかと思う。

まっぷたつの子爵 (ベスト版 文学のおくりもの)
まっぷたつの子爵 (ベスト版 文学のおくりもの)

木のぼり男爵 (白水Uブックス)
木のぼり男爵 (白水Uブックス)

不在の騎士 (白水Uブックス)
不在の騎士 (白水Uブックス)

くもの巣の小道―パルチザンあるいは落伍者たちをめぐる寓話 (ちくま文庫)
くもの巣の小道―パルチザンあるいは落伍者たちをめぐる寓話 (ちくま文庫)


web拍手 by FC2
posted by すける at 12:05 | Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。