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2018年09月16日

『遊佐未森』(EXCEED PRESS POP CULTURE SERIES)ストレンジ・デイズ編

99年の刊行だけど気づいてなかった。プログレッシブロックに強いストレンジ・デイズの編集なので、内容はしっかりしている。

遊佐未森 (EXCEED PRESS POP CULTURE SERIES―MUSIC)
遊佐未森 (EXCEED PRESS POP CULTURE SERIES―MUSIC)


 初期アルバムの強力なコンセプトの構築力と、その反面のアーティスト個人に対する拘束力のからみを、アルバムの変遷たどりながら検証しているのは、一読の価値があると思う。コンセプトに対しては、いまちょっと正確に引用できないのだけれど「オレは結局コンセプトを通じてしか音楽について語ることが出来ない。本当は音楽が嫌いなのかもしれない」という富田陽一郎の『おしゃれ制服向上委員会』での言葉につらなる忸怩たる思いがわたしにはずっとある。アルバムによって打ち出された強力なコンセプトは非常に魅力的な世界観を堪能させてくれる一方で、アーティスト自身をその世界の一つのコマとしてしまう、そういう世界がお前は好きなのではないのかという懸念をぬぐいきることは難しい。
 ここでは、ファーストアルバム『瞳水晶』において自身のソングライティングがなかったことについて評価が留保されていたことの指摘や、サードアルバム『ハルモニオデオン』が、その圧倒的な完成度のゆえに「オーバープロデュースではないか」という疑問が提示されたことも述べられている。こうした批判には一定の根拠があると考えると同時に、その一方でやはり遊佐未森でわたしが好きなのは外間隆史プロデュース、工藤順子作詞という時期であるというジレンマがある。

 とはいえ『ハルモニオデオン』でひとつのピークを迎えてからオーストラリアでレコーディングが行われた『HOPE』からソングライティングの比重が増え、5枚目のアルバム『モザイク』で外間隆史がプロデュースから外れ、代わりに遊佐自身がそこに名を連ねるという展開を果たす。別に決裂したというわけではなく、外間はその後も要所でアルバム作成に関わり続けるが、この段階で遊佐未森をコンセプトの1ピースと見ることはもう出来ないだろう。
 本書は各アルバム内の楽曲の評価にとどまらず、アルバムごとの意味とアーティストの成長を追うというしっかりした作りになっており、遊佐未森の中間地点を概観するために非常に見通しの良い視座を提供してくれる。


瞳水晶
瞳水晶

空耳の丘
空耳の丘

ハルモニオデオン
ハルモニオデオン


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posted by すける at 00:24 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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