2015年09月09日

『パレードへようこそ』マシュー・ウォーチャス監督

 1984年、サッチャー政権下のイギリスで炭鉱閉鎖に対するストライキを、同じく国に抑圧を受けているものとして支援を始めようとするレズビアンとゲイのグループを描くイギリス映画。下高井戸シネマで鑑賞。



 冒頭のシーンが鮮やかである。ゲイの活動家マークは、近頃自分たちへの警察の弾圧が緩くなっていることに気づく。なぜか、炭鉱者の労働組合への攻撃に力を注いでいるからだ、よかったよかった。よくない。自分たちの代わりに弾圧を引き受けている人々の存在に気づき、そのような一時的な無風状態にまどろむことをよしとせず、マークを中心としてゲイの青年たちは炭労への支援のために募金を集めはじめる。
 労働組合側にも彼らゲイたちのセクシュアリティに対する反発や差別があり、支援の受入れをめぐっての混乱もあるけれど、運動の過程を通じて彼らのあり方に理解を深めていく。

 群像劇としても面白く、一番の若手であるジョーが親元で暮らしながらゲイであることを隠し、授業をさぼりながら運動に身を入れるあたりの矛盾にさいなまれながら自分を確立していく姿をジョージ・マッケイが繊細に演じる様には色々なものを重ね合わせてしまった。
 ケジンという人物はゲイの専門書店の店主だけれども、こうした書店が単に書籍を売るにとどまらず具体的な運動の拠点になりうるということも、日本ではなかなか見えづらいことであるかもしれない。彼を演じたアンドリュー・スコットは先日『ジミー、野を駆ける伝説』でも見ていて、最近のイギリスの役者が分かってきたぞと嬉しくなるが、『SHERLOCK(シャーロック)』でモリアーティを演じているということで、ずいぶん有名なんだろう。
 組合の側でもビル・ナイ演じる書記のクリフは、交流を通じてゲイであることを告白し、やがて自らの芸術と政治思想と、セクシュアリティを一つのものとする隊列に出会うことになるだろう。

 音楽の使い方も興味深く、オープニングのバックにピート・シーガーによって歌われる「Solidarity Forever 」が、劇中ではカルチャー・クラブの「カーマは気まぐれ」が流れる。こうしたミュージシャンの楽曲が同一平面上にあらわれるのが、時代を切り取った映画の面白いところだろう。

 つまるところはストライキは史実のごとく敗れ、主人公たちはゲイパレードにおいて警官隊に「ストは負けたぞ」と揶揄され、味方の側のゲイの一部からも政治的なことは持ち込むなと足を引っ張られる。これは抵抗者たちの敗北を描いた映画だろうか。そうではない、ラストにおいてゲイのパレードにかつての支援に報いるために炭鉱労働者たちが連なって参加をし、先頭を歩く。そして、労働党において同性愛者の権利を明記していくことに大きな役割を果たしたのが彼ら労働組合だった。このことを見るときにストライキやデモはけっして短期的・直接的な獲得目標のみで成否を判定することは出来ないことを実感できる。闘争を通じて連帯を、他者への理解を深めていき、お互いが生きる権利を認識していくのだ。

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2015年08月27日

『カスパー・ハウザーの謎』ヴェルナー・ヘルツォーク監督

 アップリンクのヘルツォーク傑作選で鑑賞。『シュトロツェクの不思議な旅』のブルーノ・Sの主演ということで見ておきたい作品だった。

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 やはりブルーノ・Sは最高で、かつて彼の聖性について触れている感想なども見たが、こういうものを感じてくれる人がいるんだと思う。一方で、その源泉は彼がいつも供物のような存在であることにあり、見ているだけでも泣きそうになることがあるのだ。

 カスパー・ハウザーの謎とはいうが、本作において描かれたものは謎とそれに対応するような真実ではなく、むしろ彼が提示した謎の意味をとりこぼす世界の姿だったのではないだろうか。それは正直者の村とうそつきの村をめぐる論理学者や、彼の置かれた状況や言動をいちいち細かに正確に記述する書記といった人々とのやりとりにそれはあらわれている。なによりも彼の死体を切り刻み解剖し、臓器の構造を調べることでカスパーの謎が解けたというラストで、わたしたちの認識のありかたが強く批判されていることは明らかだろう。

 ニュルンベルクの広場にあらわれる以前のカスパーを描写したことで彼をめぐる謎が薄れたという意見もあろうが、それは言ってしまえばミステリー的興味からのものであり、ヘルツォークの主眼はおそらくそこにはない。細部の描写ではかなり実際の記録をもとにして作られているように見える本作であるが、貴族の落とし子かはたまた詐欺師かというようなレベルの「謎」についてはヘルツォークの言及は控えめなものであり、それほど重きを措いた展開を与えていない。それよりも、このよそよそしい世界に手紙と帽子、そして(理解できぬ信仰の)祈祷書のみを携えさせて一人の男を突然解き放ち、そして同じ手で再び命を奪うその主体がはっきりと同一のものであることがこの映画においては重要だったはずだ。
 一度目の襲撃のあとに「事件とは関係ないが」と前置きしつつ、カスパーは山を登る人々と死神の幻視について語る。もちろん関係ないわけがないのだ。そしてこのとき、カスパーの抱える謎は普遍的なものとしてわたしたちに降りかかってくるだろう。ここにブルーノ・Sのもつ先駆的な被害者性が加わったとき、この映画は忘れえぬ傑作になった。
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2015年04月29日

『ジミー、野を駆ける伝説』ケン・ローチ監督

 下高井戸シネマで『天使の分け前』以来のケン・ローチ。



 アイルランド内戦のいちおうの終結の後、亡命先のアメリカから帰ってきたジミーは古い仲間たちとともに民衆によるホールの再建に着手する。しかし、それはカトリックの教会や保守層の反発をまねき、銃撃や放火という攻撃にまでさらされていくことになる。
 音楽やスポーツ、詩の朗読などがなぜそれほどまでに怒りを買うことになったのか。ジャズは悪魔の音楽だから?それならばそのような誤解はさすがにたいがい解消されたから過去のひとつのエピソードに過ぎないのか。
 そうではない、ホールがこのような攻撃の対象となった根拠は、労働者たちが自分自身で学習の場所を作り、管理し、維持していくという行為にあった。その意味で教会をはじめとするものたちが向けた憎悪は本質的なものであり、それゆえにいまでもジミーたちの困難は普遍的なものとして存在する、この日本でもだ。

 自分は学者ではないと語る主人公のジミー・グラルトンは、一貫した直接行動の人物で、芸術や娯楽の場であるホールを自主運営することも、小作農の借地権をめぐる闘争で直接地主の元へ押しかけるのも、同一平面上の思想に裏付けられている。こうした労働者階級の知性を主演のバリー・ウォードは好演しており、この作品に出るまでそれほど知られていなかったというのはちょっと信じられないほどだ。

 下高井戸シネマ年会員の招待券を使って見たので、パンフレットを買って還元。こうした映画が作られ、配給され、鑑賞されるということへの感謝もこめて。

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