2015年08月27日

『カスパー・ハウザーの謎』ヴェルナー・ヘルツォーク監督

 アップリンクのヘルツォーク傑作選で鑑賞。『シュトロツェクの不思議な旅』のブルーノ・Sの主演ということで見ておきたい作品だった。

カスパー・ハウザーの謎 [DVD]
カスパー・ハウザーの謎 [DVD]

 やはりブルーノ・Sは最高で、かつて彼の聖性について触れている感想なども見たが、こういうものを感じてくれる人がいるんだと思う。一方で、その源泉は彼がいつも供物のような存在であることにあり、見ているだけでも泣きそうになることがあるのだ。

 カスパー・ハウザーの謎とはいうが、本作において描かれたものは謎とそれに対応するような真実ではなく、むしろ彼が提示した謎の意味をとりこぼす世界の姿だったのではないだろうか。それは正直者の村とうそつきの村をめぐる論理学者や、彼の置かれた状況や言動をいちいち細かに正確に記述する書記といった人々とのやりとりにそれはあらわれている。なによりも彼の死体を切り刻み解剖し、臓器の構造を調べることでカスパーの謎が解けたというラストで、わたしたちの認識のありかたが強く批判されていることは明らかだろう。

 ニュルンベルクの広場にあらわれる以前のカスパーを描写したことで彼をめぐる謎が薄れたという意見もあろうが、それは言ってしまえばミステリー的興味からのものであり、ヘルツォークの主眼はおそらくそこにはない。細部の描写ではかなり実際の記録をもとにして作られているように見える本作であるが、貴族の落とし子かはたまた詐欺師かというようなレベルの「謎」についてはヘルツォークの言及は控えめなものであり、それほど重きを措いた展開を与えていない。それよりも、このよそよそしい世界に手紙と帽子、そして(理解できぬ信仰の)祈祷書のみを携えさせて一人の男を突然解き放ち、そして同じ手で再び命を奪うその主体がはっきりと同一のものであることがこの映画においては重要だったはずだ。
 一度目の襲撃のあとに「事件とは関係ないが」と前置きしつつ、カスパーは山を登る人々と死神の幻視について語る。もちろん関係ないわけがないのだ。そしてこのとき、カスパーの抱える謎は普遍的なものとしてわたしたちに降りかかってくるだろう。ここにブルーノ・Sのもつ先駆的な被害者性が加わったとき、この映画は忘れえぬ傑作になった。
web拍手 by FC2
posted by すける at 03:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・演劇・ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月29日

『ジミー、野を駆ける伝説』ケン・ローチ監督

 下高井戸シネマで『天使の分け前』以来のケン・ローチ。



 アイルランド内戦のいちおうの終結の後、亡命先のアメリカから帰ってきたジミーは古い仲間たちとともに民衆によるホールの再建に着手する。しかし、それはカトリックの教会や保守層の反発をまねき、銃撃や放火という攻撃にまでさらされていくことになる。
 音楽やスポーツ、詩の朗読などがなぜそれほどまでに怒りを買うことになったのか。ジャズは悪魔の音楽だから?それならばそのような誤解はさすがにたいがい解消されたから過去のひとつのエピソードに過ぎないのか。
 そうではない、ホールがこのような攻撃の対象となった根拠は、労働者たちが自分自身で学習の場所を作り、管理し、維持していくという行為にあった。その意味で教会をはじめとするものたちが向けた憎悪は本質的なものであり、それゆえにいまでもジミーたちの困難は普遍的なものとして存在する、この日本でもだ。

 自分は学者ではないと語る主人公のジミー・グラルトンは、一貫した直接行動の人物で、芸術や娯楽の場であるホールを自主運営することも、小作農の借地権をめぐる闘争で直接地主の元へ押しかけるのも、同一平面上の思想に裏付けられている。こうした労働者階級の知性を主演のバリー・ウォードは好演しており、この作品に出るまでそれほど知られていなかったというのはちょっと信じられないほどだ。

 下高井戸シネマ年会員の招待券を使って見たので、パンフレットを買って還元。こうした映画が作られ、配給され、鑑賞されるということへの感謝もこめて。

ジミー、野を駆ける伝説 [DVD]
web拍手 by FC2
posted by すける at 16:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・演劇・ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月14日

『神々のたそがれ』アレクセイ・ゲルマン監督

 ストルガツキー兄弟原作『神様はつらい』を原作とした映画化作品。ユーロスペースで鑑賞。

 とにかく三時間にわたって密度の濃い映像に直面させられ続ける。しばしばフォーカスされた人物とカメラの間を誰かしら横切り、居心地を悪くさせる意味ありげなカメラ目線を突っ込んでくる人物たち、こういったものが積極的に「観客」に消耗を強いてくるのだ。

 ストーリーが分かりづらいという話があって、たしかに説明的な映像ではないのだけれど、骨子となる設定は開幕と終幕直前のセリフ等で分かるようになっており、テーマ性は主人公であるルマータと反逆者であるアラタとの会話に集中的にあらわれていると言えるだろう。とはいえ、この作品において真に雄弁なのは泥濘やむやみに吐かれる唾、非常に気楽にふるわれる暴力と地続きになった死といったものへのカメラワークだろう。

 わたしがストルガツキーを原作とした映画を見るのはタルコフスキーの『ストーカー』以来の二本目となるわけだけれど、それぞれ原作をハコにしてそれぞれの監督自身の表現方法やテーマ性を強固に打ち出すつくりになっていて面白い。個人的には『蟻塚の中のかぶと虫』の映像化も見てみたいと思っている。
web拍手 by FC2
posted by すける at 00:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・演劇・ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする