2014年10月12日

大林宣彦尾道三部作 『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』

 早稲田松竹、大林宣彦の三本立てでまとめて鑑賞した際の感想の転載。名画座はすばらしい。

転校生 [DVD]
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『転校生』は子供のころにけっこうテレビで流していたが、小学生にとっては小林聡美のおっぱいが出てきた時点で、作品全体を見る余裕が失われていたので、途中とか記憶になかったりする。
キワモノめいた誤解を受けかねない題材を扱いつつも、山中恒の原作を用いてセクシュアリティをめぐる物語の入門編として非常にすぐれているが、映像化する瞬間に小林聡美がいたってのは幸運であった。終盤に小林聡美がいわゆる「女の子っぽい」振る舞いに戻ると、一瞬違和感を感じるくらい、途中の少年ぶりも見事だが、最後のワンピース姿では完璧に美しい少女であるのも驚異だった。 オールタイムベスト級の名作。

 一方『時をかける少女』に関しては、あれは劇場公開時に見るべきものだったのではないかという印象も。SFとしてみると、時間をめぐって特にぶっとんだ発想や力技があるとは言えなくて、しかしこの作品はそういうところを見るもんじゃないんだよと反論されると、わたしとしては論じるとっかかりがなくなるつーか。
 この時点での原田知世の演技力に関しては、小林聡美の直後に見てしまうと、厳しい。ただまあ、エンディングで岸部一徳たちが原田知世に花びらをかけるシーンがあるが、つまり全編がこういうことなのだろうと思う。一般向けの映画で、時間の中を移動するだとかそういうアイデアを自然に扱えるようになったのはこの時期くらいからかなーと思うと、いろいろエポックだ。

 『さびしんぼう』は、ずっと富田靖子がヒロインだと思っていたんだけれど、これはトラップで、じつは藤田弓子の映画であった。
 抽象的という評価もあるようだが、成熟というモチーフが一貫して扱われているという意味では、むしろはっきりと分かりやすい。ラストで、17歳のさびしんぼうの写真を風には飛ばせなかったという前後のヒロキの台詞からも、そのことに自覚的であることが分かる。
 現実のさびしんぼう(百合子)と、幻想のさびしんぼうというような分立は、わりと無意味で、さびしんぼうはどちらにしても幻想なのである。だから、現実のさびしんぼうの役をあてがわれた百合子は、あなたが好きになったわたしは片方の側から見たわたしで、もう片方のわたしはあなたには見てほしくない、と主人公に告げるのだ。 現実のさびしんぼうも、男の側が一方的に設定したアングルとフレームで切り取られたようなありかたで認識されている(それは憧憬と言いつつやはり暴力の行使だ)限りにおいては幻想的な存在に過ぎないのだ。
 だからこそ物語の終盤で、さびしんぼうと別れたあとに、生身の女性を愛せるかという問いが主人公に突きつけられることになる。 作中ではっきりと述べられているわけではないけれど、百合子の生活に影があることはそれとなく暗示されている。これは、百合子の言う「もう片側のわたし」となんらかの関係があるのだろう。
 そして、ここに対応するのは、父親役の小林稔侍と主人公が風呂に入るシーンだ。作中、ひたすら木魚を叩き念仏を唱える父親が、ただ一度長い台詞を任されるので、それだけでも重要な場面であることは分かる。 父親は、母親が自分と知り合う前に経験したであろう恋愛について承知しつつ、そのことも含めて彼女の人生全体を受容していることを主人公に告げる。ヒロキは幻想のさびしんぼうという臍の緒を断ち切りつつ、現実のさびしんぼうには別れを告げられるのだが、それは一方ではヒロキが現実の百合子にあらためて向き合う機縁でもあるはずだ。うーん、どう考えても、かなり論理的な構成ではないか。

 個人的にはそこで投げかけて打ち切ってしまうべきで、「その後」のシーンは蛇足だと考えるが、まあいい。映画的には必要でもあるんだろう。一般的には「尾道三部作」のなかでも評価の割れる作品らしいが、見終わったあとにいろいろ言葉が出てくるのはこの作品。って、字数から見ても明らかですが。それにしても、髪を長くした富田靖子ってこんなに可愛かったか。ピンポイントで選ぶなら、自転車ですれ違う際に軽く目礼するシーン。


 3作品通じて、やはり思春期における肉体的、精神的な変容のテーマがはっきりしていて、旅をすませた後に、元の場所に戻ってくるけれど、そのときには少し成長しているというビルドゥングス・ロマンとして、しっかり成立している。こういうものを劇場作品として送り出せた80年代ってのは捨てたものでもない気がするね。

時をかける少女 [DVD]
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2014年09月06日

『息もできない』ヤン・イクチュン監督

『グラン・トリノ』の併映、というかこちらがメイン。新橋映画で『独裁者』と『死刑執行人もまた死す』を見たときの予告で流れて見ることを決めた。予告だけで見るというのは、わたしには普段あまりない行動形態。たぶん韓国映画を劇場で見るのは初めてだったはず。



 ヨニ役のキム・コッピがあまりにも素晴らしい。作品に関しては自分の人生とあまりにもダブるところがあるので動揺するところが多く、自分語りはしたくないとなるとどう語ればいいのか。ヨニが弟が持ってきた怪しい金の出所をいぶかしみ「こんなお金は欲しくない、怖い」となじるシーンなど見ていられない痛切さがあり、またサンフンがヨニに「やっぱり、いいところの娘だと思っていた」と語る完全な思い違いをヨニが訂正しない(出来ない)あたり、もう、どう見ていていいのかさっぱり分からない。

 サンフンを失った周囲の人々の反応が、外国人の目から典型的に想像される「哀号」に乗っ取ったものであることに対して、ヨニの悲しみの表現がそれとは違うことも興味深いものだった。

 問題となるラストは、目の前の蛮行から起こるフラッシュバックが過去の暴力の真実をあらためて突きつけ、失ったものもありつつ得たものもあったはずのわずかな温かい思い出さえも暗く塗りかえていくという救いのなさであり、この瞬間のヨニの表情は見なければならないものだ。貧困と暴力の連鎖と再生産にはさまれた出口のない生の中で「高校に行ってんだろ」「どうやって生きればいい?」と問うサンフンへのヨニの言葉の美しさ、あの痛み。



息もできない [DVD]
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『グラン・トリノ』クリント・イーストウッド監督

 新橋文化劇場で鑑賞。これが最後の新橋文化になった。

【初回生産限定スペシャル・パッケージ】グラン・トリノ [DVD]
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 アジア人に対する差別的な表現をするイーストウッド演じる主人公をポーランド移民という設定にしたところが巧妙というか、あれがWASPだったらアウトだったろう。 主人公はフォードの工員として勤めあげてきたが、息子たちは日本車を売っているという時代の変化のなかでグラン・トリノを古きよきアメリカの象徴にしつつ、主人公の周りに出てくるのはイタリア系の床屋やアイルランド系の建築屋、作中で明言されてたかわからないけど神父も名前から東欧系移民の子息と思われ、このあたりがちょっとねじくれてていて、アメリカというものの内実を再考させるものになっている。こうした傍流の人々こそがアメリカの価値を守ってきたのであり、そしてまた引き渡すべき相手を探しているのだと。

 途中で黒人の不良を相手に大仰な仕草で胸ポケットからライターを取り出した後に同じモーションで銃を抜き、彼らを撃退するシーンがあり、これが最後の場面の伏線になっているが、これは最終的に対峙するモン族のギャングに見せつけておいた方がよかったのではないかという気もする。
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posted by すける at 18:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・演劇・ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする