2013年12月18日

ゲームブックファン感謝祭

 ゲームブック屈指の名作とされる鈴木直人〈ドルアーガの塔三部作〉最終巻『魔界の滅亡』の刊行を記念して、12月14日に秋葉原書泉ブックタワーイベントフロアにおいて、ゲームブックファン感謝祭が行われました。さいわい、わたしもこのイベントに参加することができたので、今回はレポートを書こうと思います。

魔界の滅亡 (ゲームブック・ドルアーガの塔)
魔界の滅亡 (ゲームブック・ドルアーガの塔)

 メインはブーム当時から活躍され、またジャンル自体の最高傑作クラスの作品を書いてきた思緒雄二さん、フーゴ・ハルさん、森山安雄さん、中河竜都さんらのゲームブック作家の方々のトークショー。中河さんは「バルキリー・ナヲミ」という名前の方が馴染み深い人も多いかもしれません。肝心の鈴木直人さんが都合がつかず参加できなかったことがつくづく残念ですが、目を描かれた龍は飛んで行ってしまうので、仕方ないかなあと諦めるしかありません。
 じっさい、ここに並んでいる方だけでゲームブック作家最強のカードと言っても決して過大な表現ではない、かつて無くまた二度とは無いのではないかという豪華な顔ぶれ。ブーム当時の中学生であるわたしに「これらの人々が一堂に会するイベントがあり、お前も立ち会うだろう」と教えても絶対信じません。ひねくれたガキだったし「出版社の系列も違うし無理じゃね」とか唇を曲げて不信感を示すんじゃないでしょうか、しかし実現したんだよ!

 司会は21世紀におけるゲームブック界のキーマン、創土社の酒井さん。ここから敬称略で書きます。録音を取っておらずメモだけなので、あまり言葉を勝手におぎない過ぎないように単語レベルになったり、体言で止めたりしますがご容赦を。

 まず、「ゲームブックとはどういうものか」という核心的な質問からスタート。

森山「『火吹き山』を読んで、小説の新しい表現技法として受け止めた」「が、何かが足りない」「ストーリーと結末、伏線」を付加できると思った。この辺りの見解はWebミステリーズ掲載の岡和田晃氏によるインタビューでも確認できます。
「(ゲームブック観について)一色に染まるのはイヤなので、色々なゲームブック観があってよい」
中河「ゲームの一形態」(所属会社の観点からも)
思緒「表現手段の一つ」 「システムによる制約は面白くもあり、苦労するところでもある」
(『送り雛は瑠璃色の』創土社版あとがき「ゲームブックの構造的不自由が(その不自由ゆえ必然として)生み出す物語」という文章を参照のこと)
「紙だからこそ挑戦できることもある」(ページをめくる行為等)
フーゴ「本という形態を活かした選択肢」「既存のシステムは捨てる」「ストーリーからシステムを生み出す」

 デビュー作について。
思緒『ウォーロック』掲載の、世界観についての記事。
フーゴ「一冊にまとまったものとしては『グーニーズ』」「絵コンテの権利獲得から始めた」(このくだりはフーゴさんのHPプロフィール参照。)
森山「SFM掲載の短編→矢野徹さんの紹介→『POPCOM』に短編ゲームブック「新世界から」掲載」「最後に世界全体の謎が明かされる」「ルール説明は物語の展開に沿って行なわれる」 この辺の構成は森山さんのSF的な感性を強く感じられる。
中河「『ゼビウス』持ち込み」「三社に持ち込み。最終的に創元に」(持ち込み過程でフーゴ・ハルさんとも接触していたらしい。意外な接点)

 楽しかったこと
思緒「送り雛、三週間で書いた」「感情移入して書いた」「『顔のない村』は三日で書いた。一週間以内で書いてと言われて」「「夢草枕・歌枕」は30日。締め切りが特に無かったので」(単行本用書き下ろし)「(書く速度について)デジタル入力は変換で遅くなる。候補を見るときに(文章から)離れてしまう。手書きはトランス状態」
フーゴ「創るのが楽しい>遊ぶのが楽しい」(作り手のプロに対して、プレイヤーのプロ、読者のプロがいる)ちょっと具体的な言葉の記憶が曖昧ですいません。「安田均さんには、わたしは両方好きですと言われた。かないません」
森山「同じものは作らない。これは絶対オレしか書いてないぞと」「『ウォーロック』の順位表見るの楽しい」(注『展覧会の絵』は上位の常連でした)

 今だから言えること。ここは少し飛ばしながら。
森山「待祭の旅」を演劇部で使いたいという話があった。どうなったかは分からないが。
思緒「『送り雛』は高校の演劇部で上演された」
森山「(創土社のゲームブック復刊について)この会社つぶれるぞと思ったが十何年続いてる」

 新作について。ここも不確定情報が多いので、詳細は省きますが、フーゴさん、思緒さんは紙媒体やアプリの方のメディアでも進行中の企画がある様子。森山さんはゲームブックの予定はないが、小説が、登場人物などゲームブックの世界とリンクしていることがあるとのこと。ナヲミさんはベリーダンサーにクラスチェンジ。

 自分以外ですごいと思った作品。
思緒『ソーサリー!』(スティーブ・ジャクソン)
「ブレナンの作品は絵を描かせるなど読者のクリエイティブな行為を引き出すのが面白い」
フーゴ「『火吹き山の魔法使い』、個別に優れた部分のある作品はたくさんあるがこのインパクトは超えない」(ジャンル自体の創造という点か)
森山「『シャーロック・ホームズ10の怪事件』『魔界の地下迷宮』」(別のところで『魔城の迷宮』も絶賛されてました)
中河(ここはなぜか聞き逃してしまってる。鈴木さんだったはず)

 トークのメモはここまで。酒井さんの苦労話では「作家さんに連絡をつけるのが大変だった」という。そうだろうなー。あと、違う話になるけれど復刊に当たって「ドルアーガの塔」という名前を守ってくれたのは本当に大きいね。

 すべて聞きごたえのあるトークだったけれど、圧巻はやはり最初の「ゲームブックとはどういうものか」に関わる言葉でした。基本的に、すでに何らかの形で発表されている文章やインタビューで述べられていたことをあらためて語り直していて、居並ぶ作家本人の口から次々と目の前で語られるのを見ると圧倒されます。ここにいるのがジャンルの方法についてするどく自覚的な顔ぶれであることは、メモから書き起こした文章だけでも明確です。
 これらの人たちは基本的にストーリーとシステムを相互に作用する不可分で一体のものと考えており、すでに完成されたシステムを流用し、そこにありあわせの物語を乗せることについては創作意欲を感じておらず、つねに新しい表現を狙っていることがうかがえます。
 それだけに『ウォーロック』に寄稿したコラムが提起した問題を考えても、鈴木直人さんの口からも、このテーマについて聞きたかったとあらためて思ったり。このあたりのことについては、思緒さん、フーゴさんの作品と並べて、のちに論じる機会があればと思います。

 また、書籍という具体的なモノとゲームブックとの関係をとらえていることも見逃しがたく、そうした認識をゲームブックの実作において対象化しており、これは情緒的な水準での「紙の書籍」と「電子書籍」の対比とは違うレベルでの議論に値すると言えるでしょう。とりわけフーゴ・ハルさんの「バーナム二世事件」は、ページをめくるという行為とセットでなければ成立しない仕掛けが施されているので、是非その点にも注目してもらいたいものです。

 思緒さんがブレナンの作品について、読者の創造的な反応を呼び起こすことに強い関心を抱いていることも興味深く、私見では読者の創造性を駆動させるあり方ついては、思緒さんの「夢草枕、歌枕」のような実験的な作品において、よりゲームの本質的な部分と結びついたのではないかと思っています。

 このあと「ドルアーガ三部作」のポストカードがかかった三択クイズコーナーがあり、送り雛に出てきた名前をあてろという問題も。わたしは送り雛で作中に出てくる資料をまとめたことがあるので、塩有三さんだと分かったのだが(『日本の民族と魔的記号』などの著書がある設定)、酒井さんのヒントでこれが「しおゆうじ」からの名前だとやっと気づく。遅っ!本当にわたしはこういう部分とか全然気づかないな。

 サイン会は、当日都合がつかず欠席となった鈴木直人さんと虎井安夫さんに事前にサインしてもらった色紙が入場時に配られ、そこに当日参加の作家の方々に書き加えてもらうという流れ。あわせて著書一冊にもサインがもらえるという大盤振る舞いです。
 で、もらった寄せ書きがこれ!
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 もう、ちょっとあらためて見ても信じがたいアイテムですよ。見てるか、中学生のオレ!
 なお、森山さんのサインはハンコがあるものとないものがあったり、入場者多数のため急遽用意された追加分の色紙には、虎井さんのサインがないなどのバージョン違いがあるようです。ともあれ25年近い時を超えて、実現したこのイベント、集まってくれた作家のみなさん、企画を進めてくれた創土社の編集さん、そして復刊作品を買い支えてきた執念深いゲームブックファンの方々に感謝を。それぞれの作家の方のゲームブックへの真摯な姿勢に感動しました。最初に二度とはないだろうなんて言ったのですが、またあるといいな。
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2013年10月17日

『ホームズ鬼譚〜異次元の色彩』山田正紀 北原尚彦 フーゴ・ハル

 ラヴクラフト「異次元からの色彩」をテキストにシャーロック・ホームズも絡めつつ三人の作家が競作というアンソロジー。トークショーイベントへの参加を探ったため購入が遅くなったが、結局参加出来なかったので、ネットで注文して購入。読むタイミングはちょっと遅くなってしまった。しかし、25年前の自分に「山田正紀とフーゴ・ハルさんがクトゥルーで書くぞ」と教えてやっても信じないだろうなぁ。

ホームズ鬼譚~異次元の色彩 (The Cthulhu Mythos Files 8)
ホームズ鬼譚~異次元の色彩 (The Cthulhu Mythos Files 8)

「宇宙からの色の研究」山田正紀
 分岐した?イギリスの現代史を舞台にホームズ殺しの咎で裁判を受けるコナン・ドイルという導入から、あの探偵コンビが再結成で不可能犯罪の解明に挑むと思いきや一転してはぐれ悪魔超人コンビになるという怒涛の展開。個々の登場人物について触れることは興をそいでしまうので避けるけれど(一人ひとり、こんな形で登場するのかと驚いてほしい)、この作品にもやはりしっかりと山田正紀印がほどこされている。山田世界では神に拳銃で、クトゥルーにメスで闘いを挑むのだ。
 すでに読んだ方々はいろいろな作品を連想して名前を挙げていて、どれも納得なんだけど、わたしはなぜか何十年も読み返していない「コルクの部屋からなぜ逃げる」を思い出したんだぜ。


「バスカヴィル家の怪魔」北原尚彦
 こちらは『バスカヴィル家の犬』をベースにしたオーソドックスなパスティーシュ。わたしはシャーロック・ホームズにはそれほど馴染みがなくて、本家の話も概要くらいしか覚えていなかったので、「バスカヴィル」に関しては完全にこちらの方のストーリーで上書きされてしまった気がする。それくらい自然に各要素が絡み合っていて、北原氏の小説は初めて読んだのだが、見事なものだと思った。


「バーナム二世事件」フーゴ・ハル
 まず、謎解き部分に関しては合理的な思考方法で解決するつくりになっている。これは当然で、ゲームブックで推理による回答を求める以上は、あまり超常的な結論にすることは出来ない。ここはあくまで本格的にフェアな思考方法で答えに到達することが求められているわけで、本作はその条件を満たしている。
 その上で、神秘的な事件の合理的な解決の、その外枠にさらなる真の解決があるという、これもオーソドックスなつくりなのだけれど、真の解決に導く線が、書物としてのゲームブックという形式と不可分になっている。これは震えが来ます。

 メインの部分でのゲームとしての形式は、一見するとリンクを使ってHTMLでも作れそうな気がするんだけど、最後のしかけの驚きはページジャンプするスタイルでは絶対再現できないものになっている。これはゲームブックなんですよ。
 ゲームブックは構造上、ページを前後しながら読まなければならないので、目的のパラグラフを読む過程で、どうしても他のページやパラグラフは視界をかすめざるを得ない。そしてページをめくっているうちになんとなく重要そうなパラグラフは見当がついてくる。一つのパラグラフに何ページもかけていたり、挿絵があったりすると「ここは重要な情報があるんだな」とは自然に判断するだろう。しかし、基本的に初回プレイの読者は慎み深く「ちらりと見えても読まなかったことにする」という心理的な操作を半ば無意識に行ない、プレイの流れの中で、いつかそのパラグラフへの明示的な指示(○○へ行け)に従うことを期待して読み続けることになる。今回はそこに仕掛けが施されていて、不穏なものの気配を抑圧してきたというこの操作が、最後に破裂するというクライマックスに関わってくるのだ。

『都市と都市』が出た後、フーゴ・ハルさんと少しやり取りさせてもらう機会があったんだけど、「プレイの中に約束事の遵守と逸脱のせめぎあい」を見たいなんて要望も出してて、これは本作で満たしてもらったようなとこがある。ゲームブックにおける形式と内容の日本人作家のアプローチには三つの極があって、ひとりが鈴木直人(『ドルアーガ三部作』『パンタクル』)、ひとりが思緒雄二(『送り雛は瑠璃色の』「夢草枕、歌枕」)、そして最後のひとりがフーゴ・ハルというのがわたしの持論なのだが、その代表的なタイトルとして挙げるにふさわしい傑作。
 ともあれ本作は「フーゴ・ハルが牙をむいた」という印象が強く、正直すこし怖いとすら思った。これはいろいろな人に読まれるといいなぁ。次回作も楽しみだ。

 本書を読んだ人にはゲームブックには不慣れな人も多く、面食らうことも多かったかもしれないけれど、こういう形でアンソロジーで小説と合わせて収録されるというのは、やはりなかなかいいことかも。んー、二見から出てたホームズもの、読んでなかったんだけど欲しくなってしまったな。
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2013年03月07日

『送り雛は瑠璃色の』(思緒雄二)不完全攻略(ネタバレ)

 創土社版の『送り雛は瑠璃色の』の分岐を不完全ながらつくってみました。わき道やバッドエンド直行の選択肢は外しているものもありますが、重要な部分はおさえてるはず。不完全とはいえ、すさまじいネタバレなので、未読の方は注意。せめてものプロテクトとして、文章は箇条書きの読みづらいものにしてあります。

 ただし『送り雛は瑠璃色の』は、ネタをわったところで、どうこうという作品ではなく、謎とヒントと回答が作品内で過不足なく一致するというゲームブックの暗黙の了解を逸脱しているので、情報をすべて手に入れてからが本当の勝負だというのがわたしの見解です。

送り雛は瑠璃色の
送り雛は瑠璃色の


○1→4

○4 カズ、レイカとともに喫茶店「イーグレット」へ。
 自分の様子を聞く→24
 黙ってついていく→19
 帰る→14

○24 「イーグレットってなに」(白鷺)。→19
○19レイカ「ハルカがデパートでバイトしていた」
 ハルカを気にする→29
 帰る→14

○29 デパートの五階にお化け屋敷。人形がまるで本物のようによく出来ている。墓石のセットの陰にハルカらしい少女。
 様子を見る→54
 駆け寄る→39
 霊視する→44(人間ではない、しかし人形でもない)
 霊査する→49(人間、非「人間」、人形、非「人形」、ここにはそれぞれ存在する)

○39 人形だった?。→54
○54 ハルカそっくりな人形だった、ということにする。帰り道、薄紅の浴衣に草履を抱えた少女を見る。→69

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○14 雨の帰り道、自宅の軒先に浴衣の少女がいる。
 霊視する→59(特になし)
 霊査する→64(あまりに普通すぎる)
 様子見る→74
○74 浴衣の少女に、履き物屋の場所を聞かれる。「デパートの1階です」→69

#ふつうのゲーム的選択ではこのブロックには来ないと思うが(先回りして言うと、ここに来た場合、デパートを経由しないため、204のカズの問いその10で聞かれていることの意味が分からない。またパラグラフ11から飛べるデパートでの記述とも齟齬があるので、本来的なルートではないことは明らか)、重要なのかそうでないのか判断の難しいイベントが起こる。一枚絵つき。

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○69 帰宅。漁師を手伝う夢。網に赤子の水死体。家族の様子がおかしい。
 霊視する→38(たしかに違う。だが、そもそも人は変わるもの。君もまた。)
 霊査する→43(白玉も、青水を通さば青く見え…) 
 部屋に戻る→48
○48 神経が高ぶる。外出。→11


◎11(ゲーム序盤の基点)日中/夜間(入手情報。霊視・霊査も含む)
#学校・図書館はさらに下位の選択肢あり。
#時間・日付によって違う情報を入手することもある。スラッシュで区切って表記。

・緑台図書館 150/130(なし)
 雑誌(境は海岸や洞窟、橋などを意味する)
 一般資料(壊れた古雛を川に流す習慣。もとは祓除か)
 古典(人形とは身代の義。スサノオが起源)

・役所 63/53
(祓いの儀式として、麻の葉で流し雛を作った)

・警察 79/140
 (交通事故、神社前四辻や橋周辺に多い。数も増加傾向)
 
・消防署 117/145
 (昭和55/56年に水難事故多発。#警察の交通事故数統計とも一致)

・小学校 30
 校舎(なし)
 体育館(気功教室 重要性なし)
 プール(なし)
 花壇(花の名前)
 校庭_(なし)
 図書室(「石目」の少年が、竜への生贄として川に流される際、実行役の天狗の爪をもらって、彼のけがれを晴らしてやる。のちに聖人によって、麻で作った人形を川に流して済ませるようにし、石目の人形を作って、彼の魂を呼び返す。)
 用務員室(ヨシエちゃん、許嫁が亡くなってから、元気なかったが、いまは中学で元気にやってる=御鈴由恵 クラス担任)


・中学校 35
 教室(なし)
 職員室(なし)
 用務員室(なし)
 校庭(菱形は心臓の象徴)
 体育館(なし)
 プール(なし)
 他教室(なし)
 図書室(「雑誌」四と八は陰の数字。「一般」流し雛の髪型はいまでも昔風。厄を払ってくれる。「古典」紙にて作った雛を懐中にすれば、海上安全、腰より下の病に苦しまず)
 花壇(あさがおは由来不明な花。なんばんぎせるが盗まれる)

・神社 50/10
(クナドノカミという石をご神体に/四人の子供。青赤白紫の旗を持つ子が遊ぶ中、ひとり遅れてきた子がわけ前を要求。土用・黄色が与えられる)
・寺 60/55(重要)
(八体の立像がある。外れにもう一体。いや、さらにもう一体いる気がする。/八体の蔵の中央に牛頭人身の怪物を見る)
鍵を開けて押し入る。外側の像の下に巻物が隠されている(聖人の反魂の術で石目よみがえる。「川をくだって黄泉の国に至ろうとする時、牛頭の大男に髪をつかまれ戻された。」「それは牛頭天王である」)

・デパート108/102
(聖人により天狗は改心し、竜は調伏された/お化け屋敷の人形がひとつ足りない?)

・男橋 75/138
(霊査「夢の中では橋を渡るな」/緑中学の先生が身投げ?)

・女橋 91/5(なし)

・海岸 85/97
(小学4、5年の少女が波と遊んでいる。どこかで見た気がする。/ハルカが立っている。単純な攻略とは何の関係もないが必読(262))

・博物館 28/17
 (9の信仰。忌むべき八方位を教える八将神と、外に巡るもっとも恐ろしい外なる神、金神。八日にやってくる一つ目小僧への対抗策=目籠。籠は邪神をとらえる呪物。)

・新聞社 100/106
(古代において「橋をかける」というとき、そこには異人たちに対する征服・支配があったのではないか。/五芒星はドーマンセーマンやショーメンショーライと呼ばれる。牛頭天王の厄を避ける蘇民将来が語源のひとつ。/昭和四年、女坂川で水難事故。死亡者はフランス人男性。妊娠中の妻はショックで胎児とともに急死。)

・瞬の家 87/27
(夢。海岸に着いた人魚の死体に、漁師の老人が魅せられ、ついには発狂する。/家系図。式部姓に「鬼」を入れた表記がある。式鬼部、式鬼武、斯鬼部。佐々木という家系がしばしばからむ。榊守姓やレイカの名も散見。/奇妙な感覚、次第に強まる。)

・ハルカの家265/32
(欧米系の外国人と、ハルカに似た日本人らしい女性のセピア色の写真。意味ありげな詩。/詩 末尾三三三五 三八五二 死人は髑髏に、わたしは襤褸に)

・カズの家 115/37
(蘇民将来の話。巨旦が滅ぼされた後、死骸を五つに切断されるバージョンがある。)

・レイカの家 120/118(なし)

・御鈴先生の家 141/47
(一枚の写真を見つめたまま泣いている)

・公園 52/58(イベント多数)
(盆踊り。二人そろってわたつみへ 流れナカれてわたつみへ。/カズとレイカ。彼らの家族も様子がおかしい。/盆踊り。ハルカ、淡い赤の浴衣。かき氷デート。ハルカ=青、瞬=イチゴ。「わたしの食べてるかき氷の色はこんな色?」瑠璃色の涙を流す。かくし芸?「あなたの食べてるかき氷はわたしの血」/深夜、息子に呪いをかけられた父の暗黒劇???)


○8月7日あけぼの→21 御鈴先生来ない。ハルカも来ない。ハルカの机に和歌が。『万葉集』額田王による難訓歌の本歌取りか。カズの解釈が続く。決定打はなし。

○8月7日よいのくち→158 父と儀式。式神みたいなものをもらう。むかしは「菖蒲剣」という紙もあった。ひいじいさんは、「反魂」のまじないの紙を知人に与えてしまった。

○8月8日あけぼの→31 御鈴先生、死去のしらせ。ハルカは今日もいない。雨が降っている。「失われた祭りを、せめて自身のうちに復活させようと」(パラグラフ11のターン終了)→101


◎101 8月8日(第二の基点)#8日は危険な日だと事前に示されている。

・図書館(「雑誌」五芒星は死者に関わる象徴。北斗七星の指す方位をもって占う「十二直」。十二神将は古代バビロニアに起源を遡る。「一般」雛人形に関わる中国の伝承。架橋工事の際、幼児を竜蛇の犠牲にしていたが、児童の魂と同じとされる菱の実を代わりに捧げた。「古典」聖衆、生死・輪廻を嫌う)

・役所(橋桁の改修工事は手抜き)
・警察(水防作業中)
・消防署(水防作業中)
・小学校(なし)
・中学校(英語の落書きのある古謡の本。男女の雛が川をくだり、わたつみにて結ばれる。「いい歌だと思わない?」ハルカが後ろに立つ。髪が頬に触れる「哀しい歌だと思わない?」髪を抜かれ、爪を剥がれる。)
→タマミ登場。前パラグラフは白昼夢?〔霊査。幸魂の遊行を得、危うきは失せた。書を得よ〕→「夏越の祓い」麻の葉を持ち、茅の輪をくぐり、橋のたもとから麻の葉で作った雛を流す。草につかえて流れないことなどがあると妖怪になるという俗信あり。→タマミ再(?)登場。ヘンだぞ踊り。バグ取りしないとここにはこれない、幻のパラグラフ。

・神社(お産の近い女性が、女橋を渡るとたたられるという俗信。渡らねばならない時は男装、あるいは幼児をかたどった紙人形を流す。)

・寺(中になにかいる気がする)
・デパート(大雨洪水警報−閉店)
・男橋(声「われわれは仲間を求めている…」)
・女橋(声「新しいのは上だけ。土台は腐ってる…」)
・海岸(誰もいない海)
・博物館(急急如律令の令とは「零」、雷のそばにいる鬼。素早い)
・新聞社(この集中豪雨は昭和56年以来)
・瞬の家(海の底でハルカと語る夢。私たちの瞳は夜を映して黒く染まり、今度は海を映して瑠璃色に染まるでしょう)
・ハルカの家(「ヒメ様は?」と呼びかける声。誰もいない。)
・カズの家(「ヒメ様は?」と呼びかける声。誰もいない。)
・御鈴先生の家(月見草の花が、玄関前に活けられている)
・公園(なし)

○8月8日たれそかれ
→160 レイカ、行方不明。男橋を渡ったか。
→161 橋の下にレイカ。苦悶の表情で死亡。カズ、死んだ女の顔をさすってこわばりをほぐしてやる川端康成の短編について「ぼくは、本当の魔法なんて、そんなもんじゃないかって」。背後に気配。
→169 榊守幽神とともに気撃にて敵を打ち払うべし。
→174 敵に打ち勝つも、カズ左目を負傷。カズ、菖蒲剣を所望する。「式鬼武殿の遙を臨みし年月に及ぶところにあらざれど、思ひ同じきものなれば」
→197 カズ、剣を求めて去る。→200


◎200 最後の探索
・海岸(なし)
・寺(円の外に立つ像。血に濡れている)
・デパート 強盗。「佐々木」という足の悪い老人らしい)
☆ハルカの家(ここに入ると、情報収集は終わり。普通の意味でのゲーム性が高くなる。扉を閉めると白昼夢に襲われ、なぜか海岸に。海では霧が人の形を取りはじめている。陸に目をやると三本の旗。逃げると女橋へ(→176)。〔霊査 人の穢れが増え、竜は飢えている〕
(四辻。男橋〔送り雛が絶えたいま、魂のある人形の代わりに、魂のない人間を犠牲に〕)(石仏當)(三軒の家)(目籠の家 老婆がいる「222」歌を歌っている)

・御鈴先生の家(声「彼女には身代がなくて残念ね。でも、たまには人が流れるのもいい」スカートとブラウス)
・新聞社(川は山と海を結ぶ仲人。死霊は海へ赴き、一定期を経たのち川を上がってくる。だが、川を上ってくるのは、よい霊だけとは限らない。霊的防塞も用意されていたはず。迎え火・送り火もその役目をしたか。流れきらなかった人形が妖怪になるという伝えは、遊離魂がついた状態?現在の町は、「夏越の祓」が廃れ、山には公園墓地が切り開かれ、死穢が持ち込まれている。解釈サポートのパラグラフ)
・公園(なし)

○8月8日うしみつ
カズより伝言。竜が女坂を下る。町を救うには式部の力が必要。女橋の上で待つ。ハルカの問い掛けの歌に対して、返歌を歌うことで歪みをただし、「のろい」を「まじない」にせよ。→258

○258
橋の上にハルカ。「わたしの血は朝顔の汁、わたしの目はガラスの玉。わたしの心臓はなんばんぎせる。でも、もう全部腐っているわ。」ハルカ、和歌を歌う。「ほつるなら 見てな 忘れそ 麻衣 にほひつきたる 朝露の色」「わたつみを うつして咲かむ 思ひ草 誰そ知るらむ 朝露の色」→「飛斯鬼」250

◎250「飛斯鬼」を飛ばす場所によって、瞬の返歌とハルカの応対が変わる。

#(→212 返歌「ほつれども 誰そ忘れむ 麻衣 清き香りの木々に結びて」 ハルカ「清らかな 山のまにまの 白霧 香りなしとて 誰そ嘆かむ」「完lへジャンプ)

#(→164 返歌「白霧(かすみ) たなびきわたる 山の端に 結びとどめむ 朝露の色」 ハルカ「清らかな 山のまにまの 白霧 香りなしとて 誰そ嘆かむ」 「終」へジャンプ)

#(→201 返歌「朝露の 消えて流るる 海崖に 南蛮煙管を とりて結ばん」 「私の心は、いわば他人の思い出に寄生しているだけのものだわ。」ハルカ、さらには歌を返さず、目が染まる。瑠璃色。誰かが、涙はその色だと教えたのを馬鹿正直に信じているのかもしれない。「了」へジャンプ)


○242(車輪水法→192)
双頭の竜来る。口には幼児をくわえて。ハルカ、多数の人形をかかえて振り向く。橋に菖蒲剣を携えたカズがあらわれる。カズ、竜と撃ちあうも敗れ、自らを供犠に。「諸力将来」によって八王子を呼び出し竜を牽制。さらに牛頭人身の神があらわれる。圧倒的な力で竜を屠る。瞬もハルカも水の流れに飲み込まれる。ハルカの手から流れる人形のひとつに見覚えがある。


○完(204)カズが10の問いを残して失踪。レイカが瑠璃色の涙をこぼす。→後日談1
○終(255)カズが10の問いを残して失踪。カズは瑠璃色の涙を流していたという。→後日談2
○了(191)カズが10の問いを残して失踪。カズの残した指示にしたがい、なんばんぎせるについて、園芸部の小林に聞く。ススキやミョウガに寄生するせいか、可愛い花だが毒草と間違えられる。万葉集の東歌に出てくる「思ひ草」らしい。ススキの群生する野になんばんぎせるを見つける。「少なくとも」カズの最後の問いには、瞬の答がある。瑠璃色の涙は、もうハルカが流しているから。→後日談3



……というわけで、今回は感想はなし。ちゃんとしたものを書くのは、最低限、実家から『ウォーロック』掲載時の本編と、「顔のない村」を引き上げて、再読してから出ないと。リアルタイムではスルーしてしまった現代教養文庫版も確認したいし。

 ただし、謎の多い本書の読み方としては、併録された『夢草枕、歌枕』の「中段の空」という概念が役に立つということだけは、先に。『送り雛は瑠璃色の』自体も賛否ある作品だった。『ウォーロック』に分載されたときのことは覚えていて、当時わたしは中学生だったが、「えらいものが出てきた」というのは、前半部分を読んだだけで分かった。一方では当然というか批判的な意見も存在し、ゲームブック系の掲示板では、全否定するような文章もあった。そもそも先鋭的なつくりであり、作品の中に、謎と解答が(それをつなぐヒントも含め)必ずしも一対一で対応していないなど、従来のゲームブックを基準とすれば、困惑をまねくものであることは間違いない。
 書籍化の際に加えられた「夢草枕、歌枕」は、独立したゲームであると同時に、『送り雛は瑠璃色の』の方法論をさらに突出させたような「中段の空」という概念を立てて、送り雛の読み方についてのヒントを与えているのだけれど、もうあれはゲームブックだとは思えない人もいるんじゃないかとは思う。しかし、あれが分かると、『送り雛は瑠璃色の』をどのように読めばいいかも分かるようになっているのだ。

 また、この作品はゲーム性よりは、ブックとしての価値が高いとか、小説で読みたかったという意見もあり、それはそれで分かるのだけれど、思緒氏が創土社版あとがきに書いている「ゲームブックの構造的不自由が(その不自由として必然として)生み出す物語の世界」という文章を考えても、『送り雛は瑠璃色の』があくまで「ゲームブック」として存在しえたことは重要視されるべきだと思う。

 サウンドノベルという形もあるかもしれないけれど、あれは擬似的にテキストの連続性が確保されて、各テキストがなめらかにつながっているように見えてしまうことに、個人的には不満を感じる。
 パラグラフによる鋭利な切断面と、それゆえに再構成を迫る意思。そうしたドライブを読者にかけうるもの。端的に言って「中段の空」のようなものをもっとも効果的に作動させうるのは、ゲームブックではないだろうかと、いまだにその可能性に思いをはせてみる。
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