2015年03月31日

『魔法使いディノン1 失われた体』門倉直人

「マジックイメージ」という独自のシステムが秀逸なゲームブック。

失われた体 (ゲームブック 魔法使いディノン1)
失われた体 (ゲームブック 魔法使いディノン1)

 作中では、プレイヤーが判断をせまられる状況で、キャラクターのパラメータの一つである知力値を使って判定がおこなわれる場面がしばしばあるのだけれけど、判定に成功して見えてくるのはマジックイメージという象徴だけなのだ。「扉の奥にはワナがある」とか「鍵の開錠番号はXXである」などといった、そういう即物的な理解ではない。
 数値による判定で象徴を引き出した後には、自分自身でその象徴を解釈しないと判定に成功してもあまり意味ある情報が引き出せないという二段階のゲーム性が施されてる。前者はゲームブック的に馴染み深いシステムであるが、後者こそが本書の独自性を決定づけるものだろう。

 そして、象徴解釈の鍵になる魔法の奥義書が巻末に付されており、作中の時間の経過により読み進めることで解釈のためのヒントが具体的になっていくことになる。ストーリーの序盤については、まだ魔法書を読み進められず、鍵が少ないので(知力値を消費するリスクを負うことで先に読むことも出来るが)象徴が見えても解釈のしようがなく後になってから意味が分かるということも多い。
 ただし、象徴と物語で起こったものごとを自身で結びつけることが出来れば、同じ象徴が出てきた時にはそれに関わる事物の性格についてある程度予想をつけることも出来るようになるかもしれない。丁寧に読んでいけば魔法書の手引きなしでマジックイメージを解釈していくことも多分できる。(あ、でも魔法書はちゃんと読んでおいた方がいいね。円柱を一回目に抜けるときのヒントになってるから)
 一方ではたとえ魔法書をすべて読んだとしても、あらかじめ注意が促されているように象徴はしばしば多義的であるので、機械的に振り分けて適用することは危険であるというつくりになってる。このように象徴の扱いに主人公=読者自身が熟達していけば、マジックイメージとして直接提示されているものだけではなく、その他の風景描写などからも象徴を読み取るようなことも可能かもしれないし、そうなればその方法は決してこのゲームブックの中だけにとどまることなくその他の物語に触れるときにも大いに力になってくれるのではないだろうか。このように世界を開いてくれる潜在的な力を、この一冊は持っているとわたしは考える。

 ここまでシステム面に多くの字数を割いてしまったが、物語の主題とシステムの関わりからより多くを引き出すことも可能だろう。二つの対立する力に自らの体のコントロールを奪われた状態から、それを一つのものとして統御していく主人公ディノと、外部からのイメージの投射に自分自身の姿を左右されるがゆえに真の姿を求めるシルフのフィリオンの道中はともにひとつのテーマに支えられており、最終的に破壊と再生のサイクルの一環を担うことになる。
 世界を読むことによって、世界を少し変えていくということが、アプローチの仕方は少し異なりつつも思緒雄二『送り雛は瑠璃色の』などと共通していて、ああ、これは本当の魔法みたいなものではないですか。


 岡和田晃氏の「忘れたという、その空白の隙間で−−門倉直人『ローズ・トゥ・ロード』試論」という論考や、公成文氏の『シンデレラは、なぜカボチャの馬車に乗ったのか 〜言葉(ことのは)の魔法〜』(門倉直人)へのレビューは、必ずしも本書への評を中心とするものではないけれど、門倉直人という作家の言葉と魔法をめぐる理論と、その実践としての創作という関わりを明らかにし、このすぐれたゲームブックへの理解を促してくれるので、ぜひ読んでいただきたい。

 かつてハヤカワで本書のオリジナルが刊行された時には、ゲームブックにはノウハウがない版元であるとみなして読んでいなかったのだけれど、これはとんだ失敗だった。この度の復刊、様々な困難があったことと思うけれど本当によい仕事をしてもらったと喜びたい。


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2013年12月18日

ゲームブックファン感謝祭

 ゲームブック屈指の名作とされる鈴木直人〈ドルアーガの塔三部作〉最終巻『魔界の滅亡』の刊行を記念して、12月14日に秋葉原書泉ブックタワーイベントフロアにおいて、ゲームブックファン感謝祭が行われました。さいわい、わたしもこのイベントに参加することができたので、今回はレポートを書こうと思います。


魔界の滅亡 (ゲームブック・ドルアーガの塔)


 メインはブーム当時から活躍され、またジャンル自体の最高傑作クラスの作品を書いてきた思緒雄二さん、フーゴ・ハルさん、森山安雄さん、中河竜都さんらのゲームブック作家の方々のトークショー。中河さんは「バルキリー・ナヲミ」という名前の方が馴染み深い人も多いかもしれません。肝心の鈴木直人さんが都合がつかず参加できなかったことがつくづく残念ですが、目を描かれた龍は飛んで行ってしまうので、仕方ないかなあと諦めるしかありません。

 じっさい、ここに並んでいる方だけでゲームブック作家最強のカードと言っても決して過大な表現ではない、かつて無くまた二度とは無いのではないかという豪華な顔ぶれ。ブーム当時の中学生であるわたしに「これらの人々が一堂に会するイベントがあり、お前も立ち会うだろう」と教えても絶対信じません。ひねくれたガキだったし「出版社の系列も違うし無理じゃね」とか唇を曲げて不信感を示すんじゃないでしょうか、しかし実現したんだよ!


 司会は21世紀におけるゲームブック界のキーマン、創土社の酒井さん。ここから敬称略で書きます。録音を取っておらずメモだけなので、あまり言葉を勝手におぎない過ぎないように単語レベルになったり、体言で止めたりしますがご容赦を。


 まず、「ゲームブックとはどういうものか」という核心的な質問からスタート。


森山「『火吹き山』を読んで、小説の新しい表現技法として受け止めた」「が、何かが足りない」「ストーリーと結末、伏線」を付加できると思った。この辺りの見解はWebミステリーズ掲載の岡和田晃氏によるインタビューでも確認できます。

「(ゲームブック観について)一色に染まるのはイヤなので、色々なゲームブック観があってよい」

中河「ゲームの一形態」(所属会社の観点からも)

思緒「表現手段の一つ」 「システムによる制約は面白くもあり、苦労するところでもある」

(『送り雛は瑠璃色の』創土社版あとがき「ゲームブックの構造的不自由が(その不自由ゆえ必然として)生み出す物語」という文章を参照のこと)

「紙だからこそ挑戦できることもある」(ページをめくる行為等)

フーゴ「本という形態を活かした選択肢」「既存のシステムは捨てる」「ストーリーからシステムを生み出す」


 デビュー作について。

思緒『ウォーロック』掲載の、世界観についての記事。

フーゴ「一冊にまとまったものとしては『グーニーズ』」「絵コンテの権利獲得から始めた」(このくだりはフーゴさんのHPプロフィール参照。)

森山「SFM掲載の短編→矢野徹さんの紹介→『POPCOM』に短編ゲームブック「新世界から」掲載」「最後に世界全体の謎が明かされる」「ルール説明は物語の展開に沿って行なわれる」 この辺の構成は森山さんのSF的な感性を強く感じられる。

中河「『ゼビウス』持ち込み」「三社に持ち込み。最終的に創元に」(持ち込み過程でフーゴ・ハルさんとも接触していたらしい。意外な接点)


 楽しかったこと

思緒「送り雛、三週間で書いた」「感情移入して書いた」「『顔のない村』は三日で書いた。一週間以内で書いてと言われて」「「夢草枕・歌枕」は30日。締め切りが特に無かったので」(単行本用書き下ろし)「(書く速度について)デジタル入力は変換で遅くなる。候補を見るときに(文章から)離れてしまう。手書きはトランス状態」

フーゴ「創るのが楽しい>遊ぶのが楽しい」(作り手のプロに対して、プレイヤーのプロ、読者のプロがいる)ちょっと具体的な言葉の記憶が曖昧ですいません。「安田均さんには、わたしは両方好きですと言われた。かないません」

森山「同じものは作らない。これは絶対オレしか書いてないぞと」「『ウォーロック』の順位表見るの楽しい」(注『展覧会の絵』は上位の常連でした)


 今だから言えること。ここは少し飛ばしながら。

森山「待祭の旅」を演劇部で使いたいという話があった。どうなったかは分からないが。

思緒「『送り雛』は高校の演劇部で上演された」

森山「(創土社のゲームブック復刊について)この会社つぶれるぞと思ったが十何年続いてる」


 新作について。ここも不確定情報が多いので、詳細は省きますが、フーゴさん、思緒さんは紙媒体やアプリの方のメディアでも進行中の企画がある様子。森山さんはゲームブックの予定はないが、小説が、登場人物などゲームブックの世界とリンクしていることがあるとのこと。ナヲミさんはベリーダンサーにクラスチェンジ。


 自分以外ですごいと思った作品。

思緒『ソーサリー!』(スティーブ・ジャクソン)

「ブレナンの作品は絵を描かせるなど読者のクリエイティブな行為を引き出すのが面白い」

フーゴ「『火吹き山の魔法使い』、個別に優れた部分のある作品はたくさんあるがこのインパクトは超えない」(ジャンル自体の創造という点か)

森山「『シャーロック・ホームズ10の怪事件』『魔界の地下迷宮』」(別のところで『魔城の迷宮』も絶賛されてました)

中河(ここはなぜか聞き逃してしまってる。鈴木さんだったはず)


 トークのメモはここまで。酒井さんの苦労話では「作家さんに連絡をつけるのが大変だった」という。そうだろうなー。あと、違う話になるけれど復刊に当たって「ドルアーガの塔」という名前を守ってくれたのは本当に大きいね。


 すべて聞きごたえのあるトークだったけれど、圧巻はやはり最初の「ゲームブックとはどういうものか」に関わる言葉でした。基本的に、すでに何らかの形で発表されている文章やインタビューで述べられていたことをあらためて語り直していて、居並ぶ作家本人の口から次々と目の前で語られるのを見ると圧倒されます。ここにいるのがジャンルの方法についてするどく自覚的な顔ぶれであることは、メモから書き起こした文章だけでも明確です。

 これらの人たちは基本的にストーリーとシステムを相互に作用する不可分で一体のものと考えており、すでに完成されたシステムを流用し、そこにありあわせの物語を乗せることについては創作意欲を感じておらず、つねに新しい表現を狙っていることがうかがえます。

 それだけに『ウォーロック』に寄稿したコラムが提起した問題を考えても、鈴木直人さんの口からも、このテーマについて聞きたかったとあらためて思ったり。このあたりのことについては、思緒さん、フーゴさんの作品と並べて、のちに論じる機会があればと思います。


 また、書籍という具体的なモノとゲームブックとの関係をとらえていることも見逃しがたく、そうした認識をゲームブックの実作において対象化しており、これは情緒的な水準での「紙の書籍」と「電子書籍」の対比とは違うレベルでの議論に値すると言えるでしょう。とりわけフーゴ・ハルさんの「バーナム二世事件」は、ページをめくるという行為とセットでなければ成立しない仕掛けが施されているので、是非その点にも注目してもらいたいものです。


 思緒さんがブレナンの作品について、読者の創造的な反応を呼び起こすことに強い関心を抱いていることも興味深く、私見では読者の創造性を駆動させるあり方ついては、思緒さんの「夢草枕、歌枕」のような実験的な作品において、よりゲームの本質的な部分と結びついたのではないかと思っています。


 このあと「ドルアーガ三部作」のポストカードがかかった三択クイズコーナーがあり、送り雛に出てきた名前をあてろという問題も。わたしは送り雛で作中に出てくる資料をまとめたことがあるので、塩有三さんだと分かったのだが(『日本の民族と魔的記号』などの著書がある設定)、酒井さんのヒントでこれが「しおゆうじ」からの名前だとやっと気づく。遅っ!本当にわたしはこういう部分とか全然気づかないな。


 サイン会は、当日都合がつかず欠席となった鈴木直人さんと虎井安夫さんに事前にサインしてもらった色紙が入場時に配られ、そこに当日参加の作家の方々に書き加えてもらうという流れ。あわせて著書一冊にもサインがもらえるという大盤振る舞いです。

 で、もらった寄せ書きがこれ!

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 もう、ちょっとあらためて見ても信じがたいアイテムですよ。見てるか、中学生のオレ!

 なお、森山さんのサインはハンコがあるものとないものがあったり、入場者多数のため急遽用意された追加分の色紙には、虎井さんのサインがないなどのバージョン違いがあるようです。ともあれ25年近い時を超えて、実現したこのイベント、集まってくれた作家のみなさん、企画を進めてくれた創土社の編集さん、そして復刊作品を買い支えてきた執念深いゲームブックファンの方々に感謝を。それぞれの作家の方のゲームブックへの真摯な姿勢に感動しました。最初に二度とはないだろうなんて言ったのですが、またあるといいな。
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posted by すける at 23:54 | Comment(2) | TrackBack(0) | ゲームブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月17日

『ホームズ鬼譚〜異次元の色彩』山田正紀 北原尚彦 フーゴ・ハル

 ラヴクラフト「異次元からの色彩」をテキストにシャーロック・ホームズも絡めつつ三人の作家が競作というアンソロジー。トークショーイベントへの参加を探ったため購入が遅くなったが、結局参加出来なかったので、ネットで注文して購入。読むタイミングはちょっと遅くなってしまった。しかし、25年前の自分に「山田正紀とフーゴ・ハルさんがクトゥルーで書くぞ」と教えてやっても信じないだろうなぁ。


ホームズ鬼譚~異次元の色彩 (The Cthulhu Mythos Files 8)


「宇宙からの色の研究」山田正紀

 分岐した?イギリスの現代史を舞台にホームズ殺しの咎で裁判を受けるコナン・ドイルという導入から、あの探偵コンビが再結成で不可能犯罪の解明に挑むと思いきや一転してはぐれ悪魔超人コンビになるという怒涛の展開。個々の登場人物について触れることは興をそいでしまうので避けるけれど(一人ひとり、こんな形で登場するのかと驚いてほしい)、この作品にもやはりしっかりと山田正紀印がほどこされている。山田世界では神に拳銃で、クトゥルーにメスで闘いを挑むのだ。

 すでに読んだ方々はいろいろな作品を連想して名前を挙げていて、どれも納得なんだけど、わたしはなぜか何十年も読み返していない「コルクの部屋からなぜ逃げる」を思い出したんだぜ。



「バスカヴィル家の怪魔」北原尚彦

 こちらは『バスカヴィル家の犬』をベースにしたオーソドックスなパスティーシュ。わたしはシャーロック・ホームズにはそれほど馴染みがなくて、本家の話も概要くらいしか覚えていなかったので、「バスカヴィル」に関しては完全にこちらの方のストーリーで上書きされてしまった気がする。それくらい自然に各要素が絡み合っていて、北原氏の小説は初めて読んだのだが、見事なものだと思った。



「バーナム二世事件」フーゴ・ハル

 まず、謎解き部分に関しては合理的な思考方法で解決するつくりになっている。これは当然で、ゲームブックで推理による回答を求める以上は、あまり超常的な結論にすることは出来ない。ここはあくまで本格的にフェアな思考方法で答えに到達することが求められているわけで、本作はその条件を満たしている。

 その上で、神秘的な事件の合理的な解決の、その外枠にさらなる真の解決があるという、これもオーソドックスなつくりなのだけれど、真の解決に導く線が、書物としてのゲームブックという形式と不可分になっている。これは震えが来ます。


 メインの部分でのゲームとしての形式は、一見するとリンクを使ってHTMLでも作れそうな気がするんだけど、最後のしかけの驚きはページジャンプするスタイルでは絶対再現できないものになっている。これはゲームブックなんですよ。

 ゲームブックは構造上、ページを前後しながら読まなければならないので、目的のパラグラフを読む過程で、どうしても他のページやパラグラフは視界をかすめざるを得ない。そしてページをめくっているうちになんとなく重要そうなパラグラフは見当がついてくる。一つのパラグラフに何ページもかけていたり、挿絵があったりすると「ここは重要な情報があるんだな」とは自然に判断するだろう。しかし、基本的に初回プレイの読者は慎み深く「ちらりと見えても読まなかったことにする」という心理的な操作を半ば無意識に行ない、プレイの流れの中で、いつかそのパラグラフへの明示的な指示(○○へ行け)に従うことを期待して読み続けることになる。今回はそこに仕掛けが施されていて、不穏なものの気配を抑圧してきたというこの操作が、最後に破裂するというクライマックスに関わってくるのだ。


『都市と都市』が出た後、フーゴ・ハルさんと少しやり取りさせてもらう機会があったんだけど、「プレイの中に約束事の遵守と逸脱のせめぎあい」を見たいなんて要望も出してて、これは本作で満たしてもらったようなとこがある。ゲームブックにおける形式と内容の日本人作家のアプローチには三つの極があって、ひとりが鈴木直人(『ドルアーガ三部作』『パンタクル』)、ひとりが思緒雄二(『送り雛は瑠璃色の』「夢草枕、歌枕」)、そして最後のひとりがフーゴ・ハルというのがわたしの持論なのだが、その代表的なタイトルとして挙げるにふさわしい傑作。

 ともあれ本作は「フーゴ・ハルが牙をむいた」という印象が強く、正直すこし怖いとすら思った。これはいろいろな人に読まれるといいなぁ。次回作も楽しみだ。


 本書を読んだ人にはゲームブックには不慣れな人も多く、面食らうことも多かったかもしれないけれど、こういう形でアンソロジーで小説と合わせて収録されるというのは、やはりなかなかいいことかも。んー、二見から出てたホームズもの、読んでなかったんだけど欲しくなってしまったな。
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posted by すける at 21:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | ゲームブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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