2018年10月03日

『超動く家にて』宮内悠介

 宮内悠介『超動く家にて』読了、というかちょっと前に読めていたのだけれど、PCが壊れて間が空いてしまった。

超動く家にて 宮内悠介短編集 (創元日本SF叢書)
超動く家にて 宮内悠介短編集 (創元日本SF叢書)


 表題作である「超動く家にて」をはじめ「法則」「エラリー・クイーン数」など三篇は法月綸太郎『ノックス・マシン』と併せて読みたいSFミステリ短編である。とりわけヴァン・ダインものの「法則」は嬉しい作品だ。
 これは板垣恵介の画と演出で脳内再現するしかない巻頭の「トランジスタ技術の圧縮」に、村上春樹でギブスンをやる「クローム再襲撃」といった本歌取り・パロディ感のある作品で才気を見せてくれるのも楽しい。
 ローテクの遊戯として、野球盤を扱った「星間野球」は対戦プレイの中でルールとルールの逸脱のはざまでゲームを成立させるやりとりの妙味を見せてくれるし(でも、消える魔球で、初見のプレイヤーが「ふざけるな」というのは当然だよな)、MSXが重要な役割を果たす「エターナル・レガシー」は胸が熱くなる。MSX3部作はぜひ完走してもらいたいところだ。

 収録諸作品の発想の元となったネタは多くあとがきで明かされており、そこからの展開は非常にテクニカルに作品化されていて、しかもバラエティに飛んでいる一方で、この短編群には器用さだけで構成されたのではない、たしかに一人の著者が書いたのだということが感じられる問題意識もある。物語る機械をめぐっての個別の作者と読者が立ち上がってくる「アニマとエーファ」はその辺りで鍵になるかもしれない。
 恋人たちの逃避行が次々とヘンテコなハイカーを拾って珍道中と化していきながらやがてそれぞれの人生にあらためて向き合うことになる「ゲーマーズ・ゴースト」の人間観のバランスの取れ方は最近なかなか見るの難しいような気もする。気持ちのいい、よい短編集。


ノックス・マシン (角川文庫)
ノックス・マシン (角川文庫)
タグ:宮内悠介
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posted by すける at 22:18 | Comment(0) | SF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月11日

『バットランド』山田正紀

 アンソロジー『NOVA4』に収録されていた表題作を含めた山田正紀の中短編集が刊行された。 そう『バットランド』だ。

バットランド
バットランド


 『NOVA4』集中、いちばん野心的というか、危ない橋を渡ってるように見えるのが「バットランド」の山田正紀だというのは、わたしの贔屓目だけではなかったはずだ。ベテランらしい円熟した技巧だとか、そういうこととはまったく関係ないのがすばらしい。『神獣聖戦 Perfect Edition』の感想にも書いたことだが、山田正紀の資質には、最新の科学的知見に関する用語を、厳密な意味において展開しようというよりは、字面からの表面的なイメージに強引なドライブをかけて、アナロジーというにも無理があるような理屈を立てるような面がある。法月綸太郎の「バベルの牢獄」では「科学技術系の専門用語を文学的なレトリックでねじ曲げある種の隠語として使用する」「ソーカライズ」という文章が出てきて苦笑いをこらえることは難しい。しかしこれはSFでだけは有効に働くのだと思いたい。
 そして、様々な要素を強引な比喩やアナロジーで結び付けた作品の中で、その主人公は冒頭に提示される母子の写真と自分との関係を思いだすことが出来ない。記憶を失った主人公と写真とをついに媒介させた力が何だったのかが見えたときに、あらためて『最後の敵』のような作品が立ち上がってくることになるだろう。
 また、エネルギー保存則の破綻を救うために量子もつれを介してブラックホールから「情報」を救い出すというミッション・インポッシブルに挑む重要な相方が、初期中篇「襲撃のメロディ」を思い出させる(これは『エイダ』にもあらわれるのだが)。復刊した『贋作ゲーム』杉江松恋の解説は、山田正紀の「襲撃」というテーマを(広義の)ミステリ方面の作品から述べているが、これはSFでも非常に重要な要素なのだ。
 反復して、幾度もいくたびも、彼らはダクトを抜け、あるいはキャットウォークを渡りながら襲撃を続けている。そして
風圧に耐えて、必死に体勢を整えるコウモリの姿が、チラリと視界の隅に映った。ヨーロッパの伝説は本当だった。彼は変身した魔女なのだ(『襲撃のメロディ』)



 表題作の他にも四篇、「お悔やみなされますな晴姫様、と竹拓衆は云った」は山田正紀時間SFの系譜であり、タイトルはむろんハーラン・エリスンから来ているが、エリスンらしい怒りの情念を裏返した共感性を欠いた反逆の天使は、むしろ「雲の中の悪魔」で描かれる。ここで示されている世界が「別の世界は可能かもしれない。」で予感されているものなのかどうなのか。もっとも短い巻頭の「コンセスター」も人間の感覚器官と認識のテーマで、人類家畜テーマという『神狩り』以来というか、エリック・フランク・ラッセルの『超生命ヴァイトン』淵源のものだ。山田正紀は同じ歌をうたい続けてている、そしてその歌はいつもそのたびに新しい。



最後の敵 (河出文庫)
最後の敵 (河出文庫)

襲撃のメロディ (ハヤカワ文庫 JA 83)
襲撃のメロディ (ハヤカワ文庫 JA 83)
タグ:山田正紀
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posted by すける at 18:47 | Comment(0) | SF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月07日

『ブルー・マーズ』キム・スタンリー・ロビンスン

 火星三部作、ついに完訳。というわけで、01年の『グリーン・マーズ』以来、結構な間がありましたが火星テラフォーミング大作、ついに最後まで読めることが出来るようになりました。



 とにかく長い作品で、どのように手を付ければよいのか今更ながら戸惑うところもあるけれど、とりあえず渡邊利道氏の『ブルー・マーズ』解説と、大野万紀氏による『グリーン・マーズ』解説へのリンクを。先行する作品の展開について触れている部分もあるので未読の方はそこだけ注意していただきたい。

 本書はある意味では、極大化したエピローグとも言えて、第一部『レッド・マーズ』をカタストロフ、第二部『グリーン・マーズ』をレヴォリューションとすると、三部はレギュレーション(調整の方)という気もする。だから派手ではない、一方で、第一部ではエキセントリックだった人たちの火星の変化や対立した人々との和解がある。
 レッドにおいては、あまりに性急な火星独立運動が無法の限りを尽くしたあげくにSF的建造物を巻き込んで大瓦解するのがクライマックスとなるのだけれど、続くグリーンで印象的だったのは、火星独自の通過儀礼が描かれた場面だ。あれで火星独立運動がレッドとは別の局面に入ったことがはっきりと分かる。言うなれば「火星人」が誕生した瞬間なのだ。わたしは読んでいる最中に「これで勝った」と拳を握ってしまった。レッドでいろいろしでかした失敗もここから取り返されて、生き残った「最初の百人」はさすがにしぶとくなってもいる。
 そうしたグリーンにおいて展開された革命の攻勢は、ブルーでは……それ以上続かない。ある程度の優位は得たものの、圧倒的な勝利など望むべくもなく孤立主義と交流主義というあらたな対立軸が火星の中に生まれてくる。この「調整」の過程にあれば本来ならその統率力、構想力、想像力を発揮しえたであろうレッドでほとんど無意味に死んだジョン・ブーンもアルカディイもフランクもいないのだということがあらためて重くのしかかってくるのだ。
 こうした政治的な調整の側面で、火星のテラフォーミングをめぐり対立してきた「最初の百人」のアンとサックス(それぞれ「レッズ」と「グリーン」の代表的な論客である)が、変容してきた火星の姿を踏まえつつ、その火星観についての統合を模索し始める。さらにその脇では「火星の審美的な旅」という可能性が試されることになる。こうした極限の風景を美へと開いていく感性は『南極大陸』にける風水による南極のレポート、『2312 太陽系動乱』の環境芸術にもつながっていくものだろう。そうして読者は『ブルー・マーズ』を目にすることになる。
 このような対立と調整を経て、三部作は終幕を迎える。さまざまな制約や限界もありながら、提示されたその世界像(いささか19世紀のユートピア社会主義の書を読んでいる気分にもなる)には感嘆の声をあげるしかない。そして、この難しい作品をついに個人で訳しおえた大島豊氏にも感謝したい。

レッド・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)
レッド・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)

グリーン・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)
グリーン・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)

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posted by すける at 23:43 | Comment(0) | SF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする