2017年09月06日

『裏世界ピクニック』宮澤伊織

TLにちらほら流れてくる話では都市伝説の『ストーカー』な連作短編集だという評判の作品を、すこし遅れて読む。

裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル (ハヤカワ文庫JA)

 扱われている都市伝説は、「くねくね」「八尺様」「きさらぎ駅」等で、基本的にネットの掲示板等で広まった話になっている。おそらく同一空間と想定される〈裏世界〉に存在するこれらの怪異に二人の少女のコンビがそれぞれの動機で立ち向かっていくという筋立てだ。なるほど〈裏世界〉は『ストーカー』における〈ゾーン〉であり、とりわけ第二話の「八尺様サバイバル」に登場する先行者の肋戸の行動はタルコフスキー版『ストーカー』の身振りを直接思い起こさせてくれるものである。危険極まりない「ピクニック」とはストルガツキー兄弟による原題である『路傍のピクニック』から参照されていることは明らかだ。また、そこでの探索での収穫物は、帰ってきた世界で換金することも出来るようになっている。

 少女二人については「眼の女の子」と「手の女の子」という、わたしのキャラクターについての雑な認識の仕方があきらかな紹介の仕方をしてしまうが。このことによって〈裏世界〉での役割分担が決まり、それゆえにお互いを必要とするという設定になっている。

 第四話「時間、空間、おっさん」は書き下ろしということで、連作を単行本にまとめるにあたって、作品世界のいまだ判然とはせぬ深層を少しだけ推測させる形になっている。恐怖は定式化できるものであり、であるならば操作可能なものであり、また人間において突出した感情である。ここで人間は、(ある意味では積極的に)「恐怖させられる」ことで、なにかを見つけてしまうのだ。定式化ということに着目するならば、構造の方が重要ということもあるはずで、そう考えれば都市伝説が同行異曲、あるいはバリエーションを多く生み出すことにも必然性があると言えるかもしれない。
 こうした恐怖の実体に近づくことは、恐怖を打ち砕くためには必要なことでありつつ、ある限界を超えれば恐怖そのものに取り込まれることになるので、これはSAN値概念やあるいは『恐怖新聞』などと言ってもいいか、ギリギリの綱渡りが要求されることになるだろう。

 いまだ少女の動機は解消されていないし、その間にも未解決になっているままの事件もあったりと、まだ物語は完結していない。すでに後続する短編も発表されており、ふたたび一冊にまとまることが楽しみなシリーズである。

ストーカー (ハヤカワ文庫 SF 504)
ストーカー (ハヤカワ文庫 SF 504)

ストーカー [DVD]
ストーカー [DVD]
web拍手 by FC2
posted by すける at 09:28 | Comment(0) | SF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月02日

『ゴッド・ガン』バリントン・J・ベイリー

『シティ5からの脱出』以来、日本オリジナルの編集で二冊目のベイリーの短編集が出たぞ、すばらしい。 もともとは『神銃』にゴッド・ガンとルビを振るという予定もあったようだけれど『禅銃』とまぎらわしいという理由でこの形になったとか。うーん、それで並べてみるのもかっこいいと思うんだけどな。ともあれ、最愛のSF作家ベイリーの短編が読めるのだから、もう嬉しいことこの上ない。


ゴッド・ガン (ハヤカワ文庫 SF ヘ)
ゴッド・ガン (ハヤカワ文庫 SF ヘ)

 本書の解説では、ベイリーの描く科学者像について、ムアコックの「十八世紀の自然哲学者に近い」という言葉が紹介されているが、個人的にはベイリーのある種の作品における登場人物の会話って、近代文学の登場人物の会話じゃなくて、ソクラテス前後のソフィストたちを含めた自然哲学者たちが世界をいかに捉えるかを語り合った、その対話みたいなところがあるよなとあらためて思ったり。とくにエレアのゼノンが提示した四つのパラドックスの思考法は結構直接的に影響があるんじゃないだろうかと思っている。
 イギリスの作家リース・ヒューズはベイリーが亡くなった後に寄せた文章で、「ベイリーはパルプ雑誌のボルヘス、スペースオペラのゼノン(Bayley was a pulp Borges, a space opera Zeno)」と表現している。ベイリーを評するにあたって「SF界のボルヘス」という言葉はよく聞くが、「スペースオペラのゼノン」もまた、ベイリーの特質を直接伝えているだろう。

 作品で言えば『シティ5からの脱出』に収録されている「宇宙の探求」の最後の議論で主人公が持ち出す「ものはそれ自体と同一である」という命題に対し、チェス人が返す「ものは運動し、運動は自己同一性にわずかなぼやけを起こす」「(主人公の)原理が絶対的な法則として通用するのは、運動の不可能な宇宙においてのことにすぎない」というくだりのやりとりは、ゼノンの第三の逆理として知られる「飛矢静止」の思考だろう。『ゴッド・ガン』収録作では「地底潜艦〈インタースティス〉」で見られる、地底を進む無限運動(に近いもの)は「競技場」をベースとした「二分割」のパラドックスが着想の淵源のひとつとなっているという気がする。厳密には違うけれど。

 作品をセレクトした大森望によると〈船篇〉としていくつかの作品が割り振られているということらしく、短編に直接「船」と関わるものが冠されているだけでも「地底潜艦〈インタースティス〉」「空間の海に帆をかける船」「死の船」「災厄の船」と並んでいる。むろん船というのは旅というモチーフのなかで多くの文学作品で何度も使われてきたものではあるが、船は海という空間と人間とをつなぐ点であり、そしてベイリーの作品において「空間」とは、しばしばわたしたちの日常性の延長での把握とは違う形で考察されるものだ。だからこそその空間に対応する「船」が必要になるのだと言えるだろう。ファンタジーである「災厄の船」はやや性格が違うが、他の三篇の「船」がいずれも通常の空間とは違う形での移動を為していることを見ておきたい。

 それにしても、この年になって表題作を読むと、「神を殺す銃」という壮大なハッタリを楽しむと同時に「ぼくは会計係として、ロドリックは(いかにも彼らしい才能の浪費だが)地元テレビ工場に勤める設計技師として。両者ともに、さしずめ知的ディレッタントというところか」というくだりから、なんとはなしにほろ苦い感情を想起させられたりもする。また「邪悪の種子」では、登場人物が乗るヨットにルディ・ドゥチュケの名がつけられているのだけれど、ドゥチュケとか久しぶりに名前を聞いたな。こういうところのベイリーのセンスってひねくれている。
 奇想でもって彩られた作品群に、異星生命の性愛を軸にしたライフサイクルと、その外側に惑星をめぐる大きな環境の転変の可能性もほのめかされるあたり、ちょっと「愛はさだめ、さだめは死」を想起させる「蟹は試してみなきゃいけない」が、ちょっと違う味わいを与えてくれたり、この短編集はベイリーファンにとっての素晴らしい贈り物になった。願わくは、いまだ未訳のいくつかの長編も日本で紹介が進むようにと。




ゼノン 4つの逆理―アキレスはなぜ亀に追いつけないか
ゼノン 4つの逆理―アキレスはなぜ亀に追いつけないか
タグ:ベイリー
web拍手 by FC2
posted by すける at 10:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | SF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月17日

『カムパネルラ』山田正紀

『銀河鉄道の夜』が改稿によってバージョンに大きく違いがあることは知識としてあったが、本書ではその不安定さをめぐって闘争が行われている。巻頭の宮沢賢治についての注釈はよく読んでおこう。自分がいる世界と主人公の世界との関りが見えてくるはずだ。

カムパネルラ (創元日本SF叢書)
カムパネルラ (創元日本SF叢書)

 本書は直接的には『銀河鉄道の夜』をめぐる謎を扱っているものだけれど、「マッカーサーを射った男」あたりを起点にしつつ『ミステリ・オペラ』に至る、山田正紀歴史修正(への抵抗)ものの系譜としても読める。やはり最近の呪師霊太郎の短編集である『屍人の時代』に歴史修正主義的な欲望と対峙することを期待していたのだが、それはむしろこちらの方で叶えられたかもしれない。また連載時の構想では黙忌一郎ものとなる構想があったようだけれども、たしかにこの作品には『ファイナル・オペラ』とも共振しているところがあるように思える。ともあれスターシステムを使わずとも主題的な形で世界が折り重なることができるのが山田正紀の強さであるのはここのところとりわけ感じることができるのだ。

 語りにも仕掛けとなっている部分があり、主人公である「ぼく」とジョバンニの関係はあいまいながらも一応は等号で結ばれ、物語は「ぼく」の一人称で続くのだが、ある時点でジョバンニは三人称視点から「ジョバンニ」として描写されることになる。おそらく264ぺーじあたりに起点があり、269ページではっきりと確認できるように書いてある。この仕掛けを通じて逆襲はなされるので、この変化には気づいておきたいところだ。

 帯ではジョバンニがカムパネルラを殺したことを疑わせるようなセリフがややセンセーショナルに示されている。この疑いが本書の中でどのように扱われるかは直接読んで確かめてほしいが、これは、別役実が「ジョバンニがザネリを川に突き落とした」ことがあってしかるべき事件だった(が無かった)と述べていることと合わせて読めばより豊穣になるはずのことだろう。別役説を取ればジョバンニは間接的にカムパネルラを殺し、カムパネルラはザネリを溺死から救うことで間接的にジョバンニを殺人の罪から救っている。考えてみれば星の授業のシーン、ジョバンニが教師の質問に答えられない状況を見て、カムパネルラも特に説明もせず彼には答えられるはずの答えを黙っているところから、カムパネルラが示す救援のありかたは解釈が必要な迂遠な回路を通っている。彼の救い方とはそういうものなのだ。そして杉井ギサブロー・別役実版の映画では授業の場面でのカムパネルラのふるまいに解釈を示すのはザネリである。そのうえで、カムパネルラとは誰なのかという問いがあらためて立ち上がってくるのだ。



 ラストはダクトの中を潜り抜けるという初期作品から山田作品に反復されるイメージを経由して、閉塞した空間からのわずかな抵抗が啓かれる。その試みは成功したのだろうか。読後、書棚から『銀河鉄道の夜』を取り出し、この形で自分の手元にあることの意味を感じたくなるはずだ。

銀河鉄道の夜 他十四篇 (岩波文庫 緑76-3)
銀河鉄道の夜 他十四篇 (岩波文庫 緑76-3)

イーハトーボゆき軽便鉄道 (白水uブックス)
イーハトーボゆき軽便鉄道 (白水uブックス)

ファイナル・オペラ (ミステリ・ワールド)
ファイナル・オペラ (ミステリ・ワールド)

屍人の時代 (ハルキ文庫 や 2-29)
屍人の時代 (ハルキ文庫 や 2-29)

銀河鉄道の夜 [DVD]
銀河鉄道の夜 [DVD]
web拍手 by FC2
posted by すける at 14:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | SF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする