2018年09月30日

『戦闘破壊学園ダンゲロス』横田卓馬 架神恭介

『戦闘破壊学園ダンゲロス』マンガ版を読んだ。『蓬莱学園』×『魔界学園』でインスパイアされた感じのバトルものというべきだろうか。どちらについても原作者の架神氏の言及があったような気がする。様々な個性を持つ生徒がいる自治力の高い巨大学園に現れるのは、さらに「異能の転校生」という設定。

 魔人と称される異能力者がいる世界で、生徒会と番長の二大魔人グループの殺人まで含む学園内の対立に公的機関が介入できない理由として、60年代からの魔人による反政府闘争の妥結点である学園自治法の成立があるという点がオリジナリティとして目立つ。



戦闘破壊学園ダンゲロス(1) (ヤングマガジンコミックス)



 もともとは個々のプレイヤーが特殊能力を持つキャラを自作して持ち寄り、事前の会議によって作戦を決める、ネット上で開かれる軍人将棋のようなゲームであるということで、詳しいところはwikiを読んでもらいたいが、設定におけるポリティカルな部分は、暴力の応酬を合理的に説明し、ケームを始めて終わり、またゲームを始めるための理由付けでもあると思うので、あまり深く受け止める必要もないだろうと思う一方、物語では、この対立によるゲーム的均衡をコントロールしつつ、自治法を踏み台にしてより強固な政治性を獲得しようとする動きも出てきており、これはゲームの側からすればゲームを破壊しかねない行動であり、懲罰が与えられる必要があるということになるだろう。開幕時に示される対立とは別の対立構図が次第に前面に出てくるという構成となっている。これはゲームが要求する反復性と、物語の一回性という対比を見るうえでも興味深く、ゲームの物語化というのもいろいろな水準があるけれど、これもシステム面とのからみでいろいろ考える種になりそうなものだ。


 異能バトルはゲームのルールを反映していると思われる地形効果や、連携による効果の上昇面が見せ場であると同時に、忍法帖的情報戦の錯綜も描かれている。こちらは生徒会側の優勢。バトルもハルマゲドン開始当初の方針、ある異能を主人公によって一対一対応で無効化するような作戦を、ラストの使用ではひっくり返しつつコンボを重ねて反撃に用いるという作り方で、これも始まりと終わりを対応させる構成になっていて、広げ方から畳み方までうまくできている。こういうロジックの重ね方は、ジャンルによる蓄積もあるが本当に最近の人は上手になったなと考える。最後の逆転も、かなり前の方で伏線が張られており、主人公が能力を使った回数を独白する場面あたりがフェアプレイだろう。


 それにしても話を広げた上で、結論が非常に個人的な解決で終わるのは、今風であると同時に、著者の特徴なのかな。これはまだよく分からない。あと『魔界学園』読み直したくなったね、久しぶりに。



戦闘破壊学園ダンゲロス(8) (ヤングマガジンコミックス)


魔界学園(21) (少年チャンピオン・コミックス)
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posted by すける at 17:36 | Comment(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月04日

『さよならフットボール』『さよなら私のクラマー』新川直司

 女子サッカーと言えばシンデレライレブンのわりと長いプレイヤーであるのですが、今回扱うのはそんな女子サッカーを題材にしたマンガです。この作品を知ったのは、シンイレ関連のとあるブログがきっかけでした。

新装版 さよならフットボール(2) (月刊少年マガジンコミックス)
新装版 さよならフットボール(2) (月刊少年マガジンコミックス)

 前日譚に当たると言ったほうがよいのか。『さよならフットボール』のテーマは、男女のフィジカルの差を越えてサッカーがプレイできるかというところに焦点が当たります。主人公、恩田希の男子に負けたくないというモチベーションが、男である身には「フィジカルコンタクトのあるスポーツでそこを争点にしなくてもいいんじゃないか」と思う一方、体格の差が明確に開きはじめる思春期の女の子にとっては切実であるかもしれません。まったく同じ環境でプレイするのが公平かというのはスポーツとして難しいところです。

 そこで抱えた「ひとりの女の子」が壁を前にもがく問題は一区切りさせて、期間をおいての続編『さよなら私のクラマー』は「女の子たち」の群像劇になるというのは「分かりました」という感じですね。試合の描写で気持ちいいのは、敵味方とも1トップへのハイボールやクロスはたやすく収まらず、ディフェンスが跳ね返すシーンがけっこう描かれてるあたり。セカンドボールに寄せるところからサッカーが始まるという感覚でテンション上がるというのはたしかにあります。
 主人公の蕨青南は蕨市の高校の女子サッカーチームということであまりサッカーで名前が出てくる場所でもないと思うのですが、同じ地域の強豪校として浦和を設定出来るというのは、浦和そのものを扱うよりも、これから伸びていくチームのあるところとして、案外適しているのかもしれません。主人公たちが加入して最初に組まれた大会では県予選で敗退することになるのですが、そう、こういうハードルを簡単に越えてはいけない。
 作中もっとも印象に残る場面は、ライバルの強豪校である久乃木の鷲巣、浦和邦成の後藤田といった監督が、女子高生のチームにヨーロッパのトップクラブの戦術を惜しみなく教授し、試合の中で実践させていることについて、蕨の監督である深津が斜に構えて評したときに、越前が「私は嬉しいです」とつぶやくところで、それは決して自分たちのプレイが軽んじられていない、それぞれの選手が尊重されて、経験のある大人の指導者が持つ最高のリソースを注がれているのだという信頼を言葉とは別のところで感じ取っているからです。最近のスポーツマンガは監督の描写というのもずいぶん洗練されてきたなと思いますね。勝つことも負けることもあるけれども、素晴らしいサッカーを。
 あ、周防が浦和戦でサイドから中に切り込んでしまって、かえって利き足の左足が使えなくなる場面があったのですが、あれはのちのち解消される伏線でしょうか。割り切って早めのクロスマシーンになるというのは現実的な解法ではあるけれども、右足も使えるようになれ、もありうるかな。

 ということで、普段あまりこういうことはしないのですが、蕨青南の練習場の見当がついたので行ってみました。

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さよなら私のクラマー(1) (月刊少年マガジンコミックス)
さよなら私のクラマー(1) (月刊少年マガジンコミックス)
さよなら私のクラマー(2) (月刊少年マガジンコミックス)
さよなら私のクラマー(2) (月刊少年マガジンコミックス)
さよなら私のクラマー(4) (月刊少年マガジンコミックス)
さよなら私のクラマー(4) (月刊少年マガジンコミックス)
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posted by すける at 19:13 | Comment(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月14日

『リバースエッジ 大川端探偵社』ひじかた憂峰原作 たなか亜希夫作画

 狩撫麻礼が無くなったときのSNSでの反応は、連載の次回が楽しみに待たれている現役の作家として亡くなったんだなということを教えてくれた。そんなわけで、当該の作品『リバースエッジ 大川端探偵社』を遅ればせながらに読み、あわせて大根仁により深夜ドラマ化されていたものをDVDで見てみた。

リバースエッジ 大川端探偵社 1

 設定が秀逸である。隅田川沿いのビルに入る探偵事務所の意味は、川という境に立つ建物として、こちら側とあちら側との合間にあることを暗喩している。依頼者はしばしば、事務所を訪れたきっかけとしてたまたま水上バスから見えたからと語るのだが、これによっても依頼者がすでに不安定でこちらとあちらの移行状態にあるか、あちら側を覗き込んでいるような形になっていることが示されている。こうした川や船の象徴性についてはダニエル・ストラック『近代文学の橋 風景描写における隠喩的解釈の可能性』にあたってもらいたい。
 ともあれ、探偵と依頼者との関係はこうした舞台設定によってある程度自動的に定まることになり、さすがにベテラン原作者の力量と感じさせられる。代表作である『迷走王 ボーダー』においてしばしばあちら側とこちら側の世界というものが言及されるが、この作品ではそこに地理的な暗喩が常に組み込まれているのだ。

 こうした設定によって、人情譚や現代社会の一面といった話が、連載の過程に乗ってくるわけで、おもに浅草を舞台としながら戦後、高度成長期、バブル、現在と、時代の流れに応じて失われた商店街等の生活の風景と、かろうじて残っている人々の記憶といったものが扱われるエピソードも多い。このタイプの話が作品のオフィシャルなイメージを形成するだろう。
 一方で、おたくの性愛や、ひきこもりの自立に関するエピソードなどはピントの外れていると思われる話が多く、むしろ今時こういう外れかたが現役の連載マンガで扱われるのは珍しいと言えるのだが、それはそれで構わないというか、なんにでも理解を示されるというのもいい加減うんざりだという気もしているのだ。

 映像作品では、村木(オダギリジョー)に予知夢の能力らしきものを与えていて、原作でも村木が夢を見るシーンはたまにあるのだが、それはエピローグ的な扱いのもので、ドラマでは逆に冒頭に夢を見るシーンを持ってきている。冒頭に村木の夢、エピローグに所長(石橋蓮司)の解釈という構成が各回を通じて定まっており、これもテレビドラマのシリーズとして有効なことだろう。この辺りは大根仁インタビューも参照されたい。(ドラマのものさし・特別編 Special Interview 川のほとりに、転がる人生。 ドラマ24『リバースエッジ 大川端探偵社』 脚本・演出 大根仁)
 ドラマは、ゲストのキャスティングも納得させるものであり、とりわけ第三話「ある結婚」の内田慈、第十一話「トップランナー」山田真歩など出色である。個別に挙げられないがその他の回も、メインキャラクター以外の人物についても見事に原作の雰囲気を拾っており、丁寧な仕事であると信用をおくことができるものだ。たなか亜希夫の作画は、とりわけ女性描写が優れており、不安定な環境ではたらきつつ生活している女の不安や威厳というものをよく捉えていて、演じる側にとってもやりがいがあるものだろう。
 個人的には「もらい乳」で秋山実希を久しぶりに見れたことが収穫だった。でもこの話、原作でも人情譚としてトップクラスのものだと思うんだけど、ドラマでは唯一30分二部構成での扱いであり、もう一つの話は原作中もっとも変な話である「決闘、バズーカ対鎖鎌(+ブーメラン)」なのである。これがバランス感覚というものか。
 そして、原作において、最高のエピソードと言っていいだろう「女護ヶ島伝説」はなぜか映像化されていないのだが、これは何かの形でやるために取っておいたのではないか……と期待しているのだけれど、どうにかならないだろうか。

ドラマ24『リバースエッジ 大川端探偵社』





リバース エッジ 大川端探偵社 DVD BOX(5枚組)
リバース エッジ 大川端探偵社 DVD BOX(5枚組)

リバースエッジ 大川端探偵社 9
リバースエッジ 大川端探偵社 9



近代文学の橋   ―風景描写における隠喩的解釈の可能性―
近代文学の橋 ―風景描写における隠喩的解釈の可能性―


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posted by すける at 18:08 | Comment(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする