2017年10月16日

『三国志考証学』から龐統祠へ

 李殿元・李紹先の『三国志考証学』をパラパラと読む。原題は『三国演義中的懸案』なので、考証の対象の中心は演義の描写にある。原著は1993年刊行とと少し古く、演義と正史との突合せは、いまの日本の三国志ファンはたいがい自分でも出来るので新しい知見はそれほどないけれど、演義の創作を指摘し続けて一周すると、やっぱ羅貫中の脚色はすごいわとなってくる。

三国志考証学
三国志考証学

 他には○○の墓はどこかという類の話が多く、曹操の墓なんていまでもニュースになるくらいのもので、これは現地での発掘作業が出来て、史料にも当たりやすい中国の学者の記述に圧倒的なアドバンテージがあるところだ。

 とりわけ個人的に興味深かったのが、「軍師龐統はどこに葬られたか」の項で、三国志関係の人物の墓の実証性はピンキリなんだけど、龐統墓がある四川州徳陽市羅江県白馬関は、劉備の蜀攻め終盤の拠点だったと想定しうる綿竹関に近く、雒城での龐統の戦死後、いちど綿竹まで退いてそこで埋葬したというのはたしかに説得力のある話だ。流れ矢に当たったとされる雒城付近ではないというところに信憑性はある。付近の出土品も後漢末期のものだとか。そこまできても、本文では「一つの憶測」とするあたりの慎重さも見たい。
 俄然、龐統祠に関する信頼度が高まったので、検索してみるとまた面白い話が。龐統祠の二師殿の前には柏の木が二本植えてあり、これは言い伝えでは張飛が植えたということになっているという。

 『三国志データベース』
 「龐統祠:四川最早的三國遺蹟」

「據說系張飛所植」の真偽はさほど重要ではない(偽だろう)。しかし龐統が柏を通じて張飛と結びついているという認識は重要ではないか。成都と漢中を結ぶ剣閣の桟道にはいまも数千本の柏の木が植えられた一帯があり、翠雲廊と呼ばれるそれは別名「張飛柏」、やはり張飛が植えたという伝説になっているとか。これも稗史の類ではあろうけれど、張飛というのは伝承では柏を植える人ということになってるらしい。おそらく張飛柏の話が先にあり、龐統祠の柏はそこから関連付けられたのではないかという気もするが推測はとりあえず措き、演義では薄められているけれど、『三国志平話』では龐統と張飛にけっこうな絡みがあり、もしも龐統が長く生きていれば、コンビとして面白いセットになったのではないかといううらみを以前ちょこっと書いていたのですが、死を悼んで祠に柏を植える、ですか……。 
 
タグ:三国志
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2017年09月29日

『外来種のウソ・ホントを科学する』ケン・トムソン

 原題は'Where Do Camels Belong?'ということで、ラクダはどこに属するか?という問いである。ネットにおける発言では、外来種の生物についての言説など、科学的議論を前提にした装いで、実は非常に情緒的だったり実証性の低い(あるいは存在しない)発言が少なからずあったと思っているのだけれど、他の分野でなら「エビデンスは?」と揶揄含みに批判されるようなこうした傾向は、しかし様々な理由から積極的に検証されることなくに放置されていたのではないか。その意味で本書のタイトルには興味を引かれるものがあった。

外来種のウソ・ホントを科学する
外来種のウソ・ホントを科学する

 まずは十一章「侵入にまつわる五つの神話」で指摘される五項目に目次からでも目を通すのが良いのではないだろうか。「外来種による侵入が生物多様性を損ない、生態系の機能を失わせる」「外来種はわたしたちに多額の損害を与える」「悪いのはいつも外来種」「外来種はわたしたちを狙って野をうろついている」「外来種は悪者、在来種はいい者」

 こうした、わたしたちが日常の感覚で程度の差はあれ無前提に受け入れているような「神話」が本書ではデータによって検証されることになる。


第二章「在来性のわずかな歴史」によれば、外来種の危険性についての議論はチャールズ・エルトン'The Ecology of Invasions by Animals and Plants'(1958 邦題『侵略の生態学』)が転機となる。これは「思いつく限りの環境への害悪の原因を何であれ導入生物に帰そうとする伝統」にのっとった上で、エルトンが経験した二つの世界大戦から、生物の行動をあまりにも直接的に戦争とのアナロジーを用いて説明していることに注目するべきだろう。エルトンの世界像は静止した不変不動の動植物相というものであり、それはダーウィン以前のものであるとトムソンは指摘する。

 そのうえで、第三章と四章に分けて、とりわけ悪名高い外来種四種、ミナミオオガシラ、カワホトギスガイ、ギョリュウ、エゾミハギといった生物について行われる一般的な非難と、その実態について本書は取り上げていく。これらの生物が起こしているという被害に確たる因果関係が認められないことが多いのだ。なお公平を期すためには、むろんミナミオオガシラの項も読むべきだろう。別の章ではあるが、映画などで知られたナイルパーチをめぐる環境破壊についても、固有の外来種が引き起こしたというよりは、人間の関わり方の方により大きな問題が潜んでいることが指摘される。

 さらに在来種と外来種の判別も非常に恣意的である傾向が示され、自分たちに気持ちよく見えるものは「在来種」として扱うことがあり、またこれは反転すればある事情で不都合が生じればかつての「在来種」を「外来種」であるということにして駆除の正当性を述べ立てるというようなことが起こることが、第五章「いいものなら在来種に違いない」で論じられていく。

 本書では外来種への特効薬的な対策が大量の予算を投下したあげくに事態を悪化させたり、額に見合わないような成果しか出せない事例が多く紹介され、なかなかすぐに問題解決というわけにはいかず明るい気分になるものではないが、薄い湿地帯に根を張ったセイヨウトゲアザミを根絶から共生の方針に切り替えて野の花とのパッチワーク化に一定の成果をあげた事例や、数十年単位で見た場合には在来種と外来種のバランスが取れていく過程の可能性など希望の持てる展望も語られている。

 十一章において著者は、「研究者は価値中立的に用いる『外来種』という用語だが、不用意に使われると政治的な、あるいは道徳的な、悩ましい反応を引き起こすし、無邪気な先住種至上主義も、うっかりすると、外国人アレルギーのような感情を触発しかねない」と指摘する。さらに終章において、トムソンは「生態学は科学だ。イデオロギーではない。そして、自然とか健康とかいう概念は価値を伴い主観的なものである。生態学は、他の犠牲のうえに、ある自然像をよいものと決めて推進する権威になるべきではない」と述べる。価値判断をするなというわけでは必ずしもないが「価値の判断は科学の領域の外だ」と。
 外来生物に関わる議論についてはこのように価値中立的だったはずの用語が、不適切なレベルに拡大されて政治的な議論のアナロジーに使われてしまうことになりかねない。それが二章においてトムソンの説が俎上にあげられた理由でもあろう。無自覚に排外主義的なアナロジーにつながるような「価値」の導入や、無前提な「自然環境保護」に対して距離をおいているため、本書はおそらく否定的な反応を呼び起こすことも間違いないのだが、あらかじめ予想される批判のようには必ずしも外来生物への対策を否定しているわけでもない。ただ、環境変化の正確な原因や、環境に与えている負荷の正負を含めた正しいデータを参照した上で、恣意的な価値観を物差しにすることを控えるべきだという最低限の主張がある。これだけのことが、難しいことかもしれないが、スタート地点はそこであるべきだろう。

「世間一般の妄想をたきつけるには、ことさらに嘘をつくまでもない。ただ脅威となる侵入的外来種による恐るべき実話がたしかにいくつかはあると認めさえすればいい」

侵略の生態学 (1971年)
侵略の生態学 (1971年)
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2017年01月30日

『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』柳澤健

 パックインミュージックには間に合わなかった世代なのだ。ラジオ聞くようになった小学校高学年のころにはすでに終わってた。ナチ・チャコは文化放送の夕方の番組で聞いていて、「この二人は深夜にTBSでやっていたんだ」と親に聞かされて、そうだったのかというくらい。わたしのころには深夜と言えばオールナイトニッポンが、絶頂期というと上の世代に怒られそうではあるが、二部に伊集院光があらわれたころである。ニッポン放送の圧勝という感じであり、TBSが互角に張っていた時期というのは感覚的にはピンと来なかった、そんな時期。
  しかしながら、先日馬場こずえについてちょっと調べたところから遡行する興味で、パックインのDJの中でも名前の挙がることの多い林美雄について読んでみた。

1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代

 冒頭の視点は林ではなくリスナーたち、そして彼らが林の『パックインミュージック』が終了することを知ることから始まる。最後のプログラムがあらかじめ明示されている構成である。入社後の描写では、まず若手アナウンサーが任されたという『朝のひととき』で、林が同期の宮内鎮雄を「お前の選曲には捨て曲がない」と批判したというくだりは面白い。その後人気DJとなる強烈な自負心がほの見える。林は入社前には池袋の喫茶店でDJのバイトをやっていたというのだが、そんなバイトが一喫茶店で成立するというのがなんというか余裕があった時代だという感じである。

 パックイン本体に関しては伝説レベルのデビュー直後のユーミン関連のエピソードが当然多く取り上げられてるんだけど、山崎ハコ登場時の話なんかもあって、そのときに「橋向こうの家」とかも歌ってるんだとか。ああ、それは聞きたい。

パックインがやはりメインなのでその後のことはサラッと触れられているだけだけど、林美雄が編成として関わった『スーパーギャング』で、月曜に起用した景山民夫には期待かけてたんではないかとわたしは推測していて、しかし特に立証できるような材料はないので直感でしかないのだけれど。
 ここで冒頭部分が聞ける『スーパーギャング』オープニング曲だった、景山の歌う「やつらを喋りたおせ」は、シャレの雰囲気をまとわせながらも、冒頭の「Speak out!」連呼になにがしかの深夜放送という、フリースピーチのメディア、カウンターカルチャーの残り香を感じてしまうのは、わたしの個人的な迷妄であってもいいのだが。林も景山も体を張った「闘争」には間に合わなかったり狭間にいた世代という引け目を引きずっていたという指摘はありうるのかもしれない。

 『パックインミュージック』は『オールナイトニッポン』に押され、ビートたけしにとどめを刺されたというのが一般的な結論になるのは妥当だろうが、林美雄に関しては本書にさらっと書いてある「サブカルチャーの水先案内人である以上、常に新しい若者文化を知っておかなければならない。林美雄は少女漫画やアニメーションを扱おうとしたが、最初から最後までうまくいかなかった」というあたりが後々のことも考えると大きいことでないだろうか。『パックインミュージック』において、これまで映画や音楽の方面でつねに新しい感性を発掘してきたが、キャリアの長くなりつつあった林と、新陳代謝で更新されてきた若いリスナーとの感性の齟齬がはじめて顕在化するのが『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版であるというのは、いろいろ示唆的であり、カウンターカルチャー、サブカルチャー、オタクカルチャーという文脈のある断絶を身をもってあらわしているようだ。

 苦い話もあるのだが、深夜放送のDJを通じて様々な映画を知り、DJとリスナーとのつながりを越えてリスナー同士が「深夜映画を見る会」を作り、やがてリスナーの共同体が出来ていくさまはラジオの、深夜放送の「媒介」としての機能を見せてくれる。それはサマークリスマスなどのいくつかの祭りを経て緩やかにほどけていくのだが、それが通過儀礼を経るということのはずだ。深夜放送がこのような役割を果たせた時代にいた人たちのことを、少しうらやましく思う。そして、コミューンは決して消えたわけでもないようだよ。
荻大ノート

もう一つの別の広場―深夜放送にみる青春群像 (1969年)
もう一つの別の広場―深夜放送にみる青春群像 (1969年)
タグ:ラジオ
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posted by すける at 23:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする