2018年04月28日

『三都物語』船戸与一

 ある種の脈絡をたどって船戸与一『三都物語』読了。明日はハチナイのラノベだ。冒険小説スタイルから外れた野球界を舞台にした小説なので、読者からは普段の作風からはやや毛色が違うと思われてるようだけど、日本を舞台に三本、間に台湾と韓国を挟みながらの五本の短編に、裏社会が絡みつつやがて近現代史が立ち上がってくるということで、これは実に船戸与一ではないですかね。

三都物語
三都物語

 野球を通じて東アジアにおける歴史的な傷痕、光州事件や霧社事件が立ち上がってくる時に、それをつなぐ環となる街は日本では東京じゃなくて横浜だというのは当然そうなるだろうという感覚が読者にあるかどうか。ネット書評ではそんなに芳しい評価ではないが、面白いというわたしの方を信じてほしい。とはいえ、これは平岡正明が解説書くべきだったのではないだろうか。
 船戸与一は光州事件を内戦と表現するのはまあ妥当で、比類するべき対象としてパリ・コミューンまでに及べるかという、その手前の時間で区切った『タクシー運転手』のまとめかたを上手いと見るか、困難を避けたと見るかというような評価軸のありかたが示されていることもぼんやりと意識しておいた方がいいだろう。また、光州事件の描写において、デモから市街戦にいたるまでの市民の組織化の過程に韓国のベトナム帰還兵を見るという、これも外せないところ。なぜこれほどまでに、市民の行動が迅速に組織化されたのかという意味は徴兵制と従軍の経験が一般化して市民社会に還元されたからだという認識がどのように貫徹されるかというところに船戸の形成してきた世界観が集約されている、そこを見なければならない。

 その上で、この短編集の登場人物たちは、年長者組はみななにがしかの失意にまみれていくわけだが、若い台湾人投手を日本人コーチは拾い上げて、成功するための筋道を作り、引退した在日韓国人投手は、スライダーを伝授して、未来への暗い展望を基礎としながらも少しだけ希望をつないでいくという作りになっている。


全記録光州蜂起―80年5月 虐殺と民衆抗争の十日間
全記録光州蜂起―80年5月 虐殺と民衆抗争の十日間

抗日霧社事件をめぐる人々―翻弄された台湾原住民の戦前、戦後 (史実シリーズ)
抗日霧社事件をめぐる人々―翻弄された台湾原住民の戦前、戦後 (史実シリーズ)

国家と犯罪
国家と犯罪
タグ:船戸与一
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posted by すける at 09:04 | Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月14日

ジョージ・A・ロメロ 、ジョナサン・メイベリー編著『ナイツ・オブ・ザ・リビングデッド』〈死者の章〉〈生者の章〉

 ジョージ・A・ロメロの、もはや説明不要の歴史的傑作『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を直接的に題材にしたアンソロジー。竹書房文庫はここのところ翻訳でいい仕事をしてくれている。

NIGHTS OF THE LIVING DEAD ナイツ・オブ・ザ・リビングデッド 死者の章 (竹書房文庫)

 基本的に世界観は一致させながらゾンビ(という表記で書かせてもらおう)と世界についての物語が描かれていて、まずはロメロによる「身元不明遺体」が注目されるところだが、多彩な作家陣の起用に併せて様々な要素が盛り込まれており、超能力者(「ファスト・エントリー」ジェイ・ボナンジンガ)や幽霊(「発見されたノート」ブライアン・キーン)といった隣接するようなジャンルとのミックスや、宇宙ステーション内部で起こったゾンビ騒動(「軌道消滅」デイヴィッド・ウェリントン)などのシチュエーションで読ませてくれる。
 とりわけ、オリジナルの脚本家であるジョン・A・ルッソによる、タイトルからもわかる直接の後日談「その翌日」には、作品内の固有名詞が使われており興味深いものだろう。また、アイザック・マリオン「卓上の少女」は、映画ではほとんど描かれることのなかった少女の視点から事件を描いており、ただの被害者に過ぎなかった市登場人物に対してこのようなアプローチが可能になったこともジャンルと作品そのものが積み上げた厚みであろう。ジョナサン・メイベリー「孤高のガンマン」は自身のシリーズ作品を『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の舞台に近づけたもので、ファン上がりの作家の冥利に尽きるというか、こうした「サークル」をホラー作品がとりわけ形成しやすいことにも考えが飛んだりもする。

 一方ではメイベリー自身がアンソロジーの冒頭で告げるように、作品群のいくつかは「時代設定は大雑把」というように、原典の時代とは違うだろうというようなガジェットも散見するし、その筆頭が何よりもロメロの作品である。とはいえ、オリジナルの映画において勇敢に闘いながら無残な最期を迎える主人公ベンを演じたデュアン・ジョーンズの起用は彼の演技力が群を抜いていた上での偶然であり、本来脚本上では主人公は白人のはずだったとロメロは告白しているのだが、当初の脚本上では粗暴な肉体労働者だった主人公にデュアン・ジョーンズが与えた意志的で抑制的な演技は、エンターテイメントのただなかに黒人と白人との社会的なきしみを映し出していることはやはり否定しようもなく、そうしたことが偶然に起こることがむしろ必然的であり、この映画が持つドキュメンタリー的な雰囲気は68年の分化的な革命を構成する一部だったとあらためて思わざるを得ないのだった。


NIGHTS OF THE LIVING DEAD ナイツ・オブ・ザ・リビングデッド 生者の章 (竹書房文庫)


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2018年03月06日

菊池桃子『午後には陽のあたる場所』

 少し前、TBSラジオ『伊集院光とらじおと』で、ゲストに招かれた菊池桃子のトークが非常に興味深かったので、著書も読んでみる。

午後には陽のあたる場所
午後には陽のあたる場所

 まず、第一章では自分についての「自身の無さ」と祖母からの肯定について書かれているのだけれども、後の方まで読むと、これが私的な語りに終わるものではなく全体に関わるイントロとして置かれているものであることが分かる。
 本書の主要なテーマはやはり長女に乳児期の脳梗塞からの後遺症があることが判明してからの向き合い方にあると思われるが、ここで自分の子供時代と、自分が子供を持つ親になった時代とが互いに参照されてから、一般的な議論を展開していく支点とするという方法が示されている。先述のラジオのトークでもその語り口は特徴的であり、個人的な経験を、普遍的な制度の話と絡めたり切り分けたりという距離感が適切だった。
 娘の小学校入学に消極的な学校側から、家庭教師をつけるという代案を示された時の感情が、費用のかかる家庭教師の利用という条件に対して、「お金のない我が家は対応出来ない」でも「お金のある我が家は、多少大変だがなんとかなる(著者は経済的条件だけ見ればこちら側だろう)」でもなく、義務教育の期間に家庭の資産状況で教育を受ける権利がそこなわれること一般に対する怒りであることからも、菊池がつねに普遍的な視点を意識していることが分かる。

 また、後遺症があることが判明した時に、「インターネットで論文の専門サイトにアクセスして、専門性の高い言葉のすべては理解できないまでも、最新の研究の情報も探ろうと」したとさらりと書かれているけれど、これはおそらくCiNiiだろうし、病気等について「ネットで調べる」という時にここを経由して情報に当たり、典拠の怪しい「医療情報サイト」については斥けるということは、なかなか出来ないことで、「調べる」ということについて適性があり、非常に訓練されている感じを受ける。のちに「普通教育と特別支援教育との違いがキャリア形成にいかに影響するのか」をテーマに法政大学大学院に進学することになるというが、それ以前にこういう手法を持っていたことはわりと驚いた。

 ということで、以前、1億総活躍国民会議に民間議員として起用された際も、そもそもその定義について疑義を示すなどの見識を示したことが話題になったこともあったが、決してフロックではない、まっとうな学問の知見と方法を踏まえたものであったことが納得できた一冊だった。


(追記)それにしても伊集院光(あるいは大槻ケンヂ)の世代にとって菊池桃子と言えばラ・ムーや『テラ戦士ΨBOY 』といったネタ感の強い存在だったわけで、いまこういう文章を書くことになるとは中学生のころにはなかなか想像できませんでした。
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posted by すける at 21:49 | Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする