2016年04月06日

『隻眼の少女』麻耶雄嵩

「後期クイーン問題」という言葉をひさしぶりに見たので、積んであった本を崩して日本推理作家協会賞と本格ミステリ大賞を受賞したという久しぶりの麻耶雄嵩を。

隻眼の少女
隻眼の少女

 
 ミステリに関しては専門外だけれど、と予防線を張った上で、文庫の解説ではあやつりテーマが本書の底流に据えられていることが明らかにされているように、作品内の真の証拠と偽の証拠をめぐる偏執的とすら言えるやりとりがやはり最大の読みどころだろう。真相解明の場面ですら、真の解決に導く犯人のミステイクによる証拠、と思われたものは犯人側から提示されたものであることが告げられるにいたって、探偵役の決定的な解決は避けられている。
 一方では、こうしたテーマではあやつりの主体は神のようなポジションから推理に対する操作をあらかじめおこなっていることが多い印象があるけれども、ここでは事件の渦中に進行形で偽の証拠の種をばら撒きながら、経過に応じて最適なものを選ぶ(選ばせる)という形で事件へ関与している点に妙味があったように思う。これは時間をはさんだ二部構成というつくりとも上手く絡み合っていたのではないだろうか。

 ラストはビターでありつつも救いがある、という形ではあるけれど、麻耶雄嵩であるだけに表面上の結末を鵜呑みにしていいのかと迷うところもあり、ネットでもいくつかの疑問点が挙げられていたりするがここでは踏み込まない。

 新本格以降のミステリに関しては、京極夏彦を別格として法月綸太郎、麻耶雄嵩、殊能将之といった作家をわたしは好んでいて、特になんらかの知見というほども無くこれらの人の作品は気にかけているのだが、あらためて並べて見るとわりと特定の傾向で固まっているような気もする。推理の根拠における無底性に立ち会ったときに、そこで深く悩むか、「銘探偵」のしるしづけによって解決を上書きしていくような悪運動に終止符を打つかというのは振舞い方は違っても、同じ一つの困難に直面しているという前提は共有しているのだろう。
タグ:麻耶雄嵩
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2016年03月14日

『芸術と策謀のパリ―ナポレオン三世時代の怪しい男たち』横張誠

「ボエム」と言えばジェフサポにとっては林丈統と決まっているものではあるが、本書はそんな「ボエーム」という言葉が喚起するイメージが第二帝政期にどのように変容しながら使われていったかを探っている。

芸術と策謀のパリ―ナポレオン三世時代の怪しい男たち (講談社選書メチエ)
芸術と策謀のパリ―ナポレオン三世時代の怪しい男たち (講談社選書メチエ)

「ボエム」という言葉によってイメージされるものの拡大の記述、のらくら者で反ブルジョワ的な芸術家の肖像から、投機的で無節操な産業家、さらには冒険主義的な政治家などが含まれるようになる。経済的には下層階級を示していたはずの言葉が次第に上流階級をも包含するイメージを形成すること。

 これが、『共産党宣言』から『フランスにおける階級闘争』を経て『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』に至るマルクスのルンプロ規定の枠組みの動揺と重なってくるあたりでがぜん面白くなってくる。階級を代表するものと代表されるものの一致がもはやブルジョアにもプロレタリアにも成立しない第二共和政末期の状況を反映した「ブリュメール十八日」における階級脱落者総体としての「ボエム」概念の採用によって、その親玉としてのナポレオン三世という存在の意味が分かる。具体的には何一つ代表していないゆえに階級的な利害の束縛からから一見独立したようにすら見える第二帝政という奇妙な存在が立ち上がってくる。

 この第二帝政下においてフランスが後戻り不能な経済上の革新を集中的に行ったことは、
別の視点から検討されるべきでもあるだろう。鉄道網の集中的な建設、オスマンプランによるパリの大改造、百貨店による消費社会、万博、土地の投機的取引といった現象を支えた政策は当時の鈍重なフランスのブルジョワジーにはよくも悪くも取りえないことでもあった。

 本書を通貫して読んだときに冒頭のクールベの絵画「画家のアトリエ」についての記述の意味もわかるようはずだ。しばしば参照されていたクラカウアー『天国と地獄―ジャック・オッフェ​ンバックと同時代のパリ 』とメールマン『革命と反復―マルクス/ユゴー/​バルザック』の二冊は次の読書リストに入れておきたい。

ルイ・ボナパルトのブリュメール18日―初版 (平凡社ライブラリー)
ルイ・ボナパルトのブリュメール18日―初版 (平凡社ライブラリー)
タグ:第二帝政
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2016年02月26日

『日時計』シャーリイ・ジャクスン

『なんでもない一日』に続いて、なんとシャーリイ・ジャクスン三冊目の長編の翻訳が。いったいなにが起こっているのか。

日時計
日時計

 舞台となる小高い丘にあるハロラン家の屋敷は物理的にも観念的にも「外の世界」と一線を画したものであることが、まず明言される。「ハロラン一族が一線を画した外の世界から美を体現するあれこれを容赦なく奪い」「そこにはすべてのものが揃っている」本書における「屋敷」とはこういう性格のものである。

 物語は普通なら次代の当主となるべきライオネルの死から始まるが、剣呑な背景があるらしいことが早々に提示され、かつ彼の死を心から悼んでいる人も見受けづらいというあたりで登場人物たちの性格もたいがい見当がつく。そして、彼の死を契機に屋敷の住人の構成が変化をむかえるかというところで、当主の妹であるファニーおばさんが世界の終わりと屋敷に残るもののみに許される救済の預言を聞くことが物語を規定する。
 周囲の人物が次第にこの預言の影響下に置かれ信じていくようになる姿は異様なのだが、超自然的な現象を受容する精神はこのあとに続く『丘の屋敷』や『ずっとお城で暮らしてる』といった長編につながるモチーフであり、読み比べてみればどのようにシャーリイ・ジャクスンこの問題をあつかう方法論を洗練させていったかが分かるだろう。

 隔絶された「屋敷」を小さく再生産させた姿が孫娘のファンシーのドールハウスであることは明らかだけれども、もう一つ家人にはほとんど忘れられた屋根裏部屋をファニーおばさんが自分が生まれた時のアパートそっくりに改造していることも見逃せない。現状、屋敷を現実的に支配しているのはハロラン夫人なのだが、それぞれより小規模に隔絶された空間を保持し、その権勢をうかがっていることがあらわされているのだ。

 もっとも魅力的な人物はやはりファンシーでグロリアとの屋敷の外の世界をめぐる問答は注目に値する(pp.220-222,pp.244-248)。一方ではファンシーのドールハウスのおばあさんの人形に針を刺したのは誰か、作中では明言されていないのだが『ずっとお城で暮らしてる』を読めば、そのような行動原理を持っているのはだれか、おそらく見当がつく……。


『なんでもない一日』に収録された作品にも「丘の屋敷」と言いうるものが舞台になっていた作品は多く収録されていたのだけれど、本書もその系譜の巨大な作品であることは間違いない。「丘の作家」と言えばパヴェーゼなのだけれども、わたしにとってはシャーリイ・ジャクスンになってしまいそうである。
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posted by すける at 13:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする