2015年09月08日

『謎のカスパール・ハウザー』種村季弘

 ヘルツォーク『カスパー・ハウザーの謎』から引っ張られての、『謎のカスパール・ハウザー』である。分かりやすいですね。そもそもは、ずいぶん前になんとなく買っていたのだけれど、わたしの側にカスパー・ハウザーという人物について通り一遍の知識しかなかったので特に読む意味づけが見出せないまま積んでいたものだった。

謎のカスパール・ハウザー (河出文庫)
謎のカスパール・ハウザー (河出文庫)

 やはり映画は見るべきものだと思ったのはカスパールの特徴としてあげられる著しい受動性というものがカスパールを演じたブルーノ・Sの存在とともにすんなりと納得できたことで、これによって全体の見通しがよくなった。
 カスパールの出生をめぐる秘密についての検証は博覧強記といってよい知識に裏付けられつつ飛躍も含んだ推測によって展開されていき、これも十分にバーデン公国ほかの当時のヨーロッパの複雑な政治情勢を反映した興味深いものである。とはいえ、それ以上に強くひきつけられたのは第八章「性別のふたしかな男」で論じられた、エディプス的状況が不可能になった時代の精神モデルとしてのカスパール・ハウザーの存在についてであった。
 ここでは近代社会の家族の中にあっても生じる本質的な「捨て子」性の典型としてカスパールは見なされる。そして、ついに通過儀礼に失敗して、死によってもなにものかになることなく死んでいくカスパール・ハウザーの存在の普遍的な意味が、このときわたしたちにとってどのように関わってくるかを考えることが出来るだろう。
 種村はこの章では犠牲死にイエスのような意味づけを与えられたかもしれないカスパール、貴種流離の末にヨーロッパの一角にたしかな領地を占めたかもしれないカスパールを示しつつ、結局のところ何もなさぬまま斃れたカスパールを描く。だが、それは残念なことだったろうか。種村はあとがきにおいて、マルト・ロベール『起源の小説と小説の起源』を援用して、小説のジャンルの二つとして「私生児の小説」と「捨て子の小説」という区分を提示する。そして19世紀的な世界の(再)獲得を目指す「私生児」に似た境遇ながら、世界を相手に戦わず、逃げ回りながら自己の確立を目指さない「捨て子」、そのようなカスパール・ハウザーのあり方を見た上で「起源のまったくない絶対の孤児をナポレオン的私生児として取り違えることによって彼の本来性を消してしまう」ことの罠を指摘する。
 さまざまな史料を駆使した考証はこの議論にこそ導かれるべきであって、彼の正体はなんなのか、本当は誰だったのかという問いは空転せざるを得ないものなのだ。ここに、再びヘルツォークの描いたカスパール・ハウザー像に立ち戻る道がある。

参照「『カスパー・ハウザーの謎』ヴェルナー・ヘルツォーク監督」

起源の小説と小説の起源
起源の小説と小説の起源
タグ:種村季弘
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posted by すける at 18:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月28日

『パリの胃袋』エミール・ゾラ

 ルーゴン・マッカール家から登場するのはリザ・マッカール。リザは一見マッカール系の人物とは思えないほど安定した性格の人物だけれど、それは安楽を好むがそのための努力は惜しまないマッカールというわけね。

パリの胃袋 (ゾラ・セレクション)
パリの胃袋 (ゾラ・セレクション)

 とはいえ今回主人公と言えるのはルーゴン・マッカール家の人間ではなく、リザの夫クニュの兄であるフロラン。フロランは共和派の人物でナポレオン三世のクーデター時に巻き込まれて流刑に処されおり、彼が脱走してパリに戻ってくるところから物語は始まる。
 成り行きから身分を隠しつつパリの中央市場鮮魚棟の検査官となるフロランの苦悩こそが本書の中心で語られていることだけれども、それは悲劇的であると同時に、フロランという余計者としてのインテリゲンツィアの生活からの乖離と共和主義への傾倒はどこか戯画的でもあることは避けられない。それにしても、検査官という地位を示唆された時に帝国の禄は食めないと断ろうとするフロランの態度は、わたしには見ていてとても笑う気にはなれないものではあるのだが。

 フロランがガヴァールを通して関わることになるクラブというか結社というかの反乱計画はおよそ民衆との接点のないものであると同時に、それらのせいぜい散発的な騒擾を起こす程度のことしか出来なさそうなおよそ実行力のない組織にも監視がほどこされスパイの手も入っていることがほのめかされているのは興味深い。

 フロランの理想主義と第二帝政に対する反抗は、肉屋の商売はうまくいっているというリザの現実的な感覚によって拒否される。中央市場の繁栄によって示されるように、クーデターからのフロランの不在のうちにパリの大改造を経て第二帝政の経済はともあれ成功を収めつつあり、食事にありつける中間層を生み出しつつあった。リザの忠誠は、だから必ずしも帝政に向けられているわけでもなく、安定した生活を保障してくれるのならどのような体制でもかまわない。注意されるべきは、リザは財産を増やすことは好むけれども、ルーゴン家のような形での蓄財には否定的で、とりわけ『獲物の分け前』に登場したアリスティッドのようなどこか過剰な部分がある投機的な行為についてはやはり名指しで批判することだ。
 ともあれこの時、リザに代表される中産階級的道徳と第二帝政はそれなりにうまくやっていたわけで、こうしたリザの生を見ると、一方での彼女の妹であるジェルヴェーズやその娘ナナの第二帝政における死の位置付けも見えてくるような気がする。
 そして中央市場的な世界と対称となる、フロランが唯一心を解放できた場所、第四章で扱われるフランソワのおかみさんの菜園によって象徴されるフランスの「大地」は、後の巻で主要な舞台として競り上がってくることになるだろう。
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posted by すける at 01:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月11日

『濁った激流にかかる橋』伊井直行

 町を二つに分ける川にかかる、ただ一本の橋の周囲で起こる物語。

濁った激流にかかる橋 (講談社文芸文庫)
濁った激流にかかる橋 (講談社文芸文庫)

 開発の進む左岸と、取り残された右岸という町の姿はかなりデフォルメされている。一方では、町を結ぶただ一本の橋は交通のための機能をはたすと同時に交通を阻害する要因にもなっており、橋を増設するなどの本質的な改善策はさまざまな要因により頓挫し、もとある橋をひたすら拡大させていく工事がかえって混乱を増幅させていくという形が細部のリアリティとは別の生々しさを表している。

 収録された九本の短編は、マジックリアリズムの手法を換骨奪胎しつつ、視点と文体を変えて町に暮らす人々、主に四つの姓をもつ一族の年代記を描き、時に登場人物を重ねながら語っていく。川は地理的な分断をなしているとともに、時間の経過を含んでいて、事故や自殺、もしかしたら他殺かという幾人もの死者を飲み込んで流れ続けており、逆流の日には関わる人に死者の姿を示すこともある。ここで再会を果たすことであらためて死ぬものもいれば、再生を遂げるものもいる。各話では宙吊りになる幕切れが多いが、最終話においてはそれまでの登場人物のうち何人かは川をめぐって起こった物事に決着をつけていくことになる。
 架空の都市をめぐる歴史というような題材が好みならば、ぜひ一読してほしい作品だ。
タグ:伊井直行
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posted by すける at 16:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする