2012年11月22日

JEFFERSON STARSHIP来日を前にポール・カントナー70歳の映像を見る。

 11月23日、24日とジェファーソン・スターシップがCLUB CITTAでまさかの来日公演。08年がラストと覚悟していた身にはまさかのボーナスステージです。

 で、久しぶりにYouTubeを探ってみると、2011年の3月19、20日にかけておこなわれた、ポール・カントナーの70歳おめでとうコンサート「PAUL KANTNER's 70th Birthday All-Star Gala」の動画がけっこう上がってるのに気づきました。

 Blows Against the Empireから。


 キャシー・リチャードソンとダービー・グールドのツインボーカルをちゃんと見たのは初めてかもしれない。やあ、ダービーさんにもちょっと日本に来て欲しかったね。ダイアナ・マンガーノは来てないんだな。09年になってからのダイアナの参加状態はいまいちよく分かりません。ちょっと心配。



 おお、ポールがBlues From An Airplaneなんてやってる。これは現在の編成のジェファーソン・スターシップになってからどれくらいやったんだろう。けっこうレアじゃないかな。





 セットリストははっきりしないんだけど、これはトリに近いところかな、With A Little Help From My Friends。


 おおお、かっこいい。これ、クラブチッタでもやるんかな……。ル・グィンの『天のろくろ』では、この曲の使い方が最高にかっこよかったのだった。


 タイトルからひろったワードで検索すると、他にも動画が出てきますね。

 とりあえず、一年半前の動画ですが、ポールが元気そうなのを見て、ホッとしながら今回の公演に向かいたいと思います。公演のHPではレジェンド的な扱いで、有名な曲に焦点をあてた紹介の仕方になってるけど、08年のアルバム、Jefferson's Tree of Liberty もすごくいいアルバムだったので、あそこからもやってほしいなぁ。

Blows Against the Empire
Blows Against the Empire

Jefferson's Tree of Liberty (Spkg)
Jefferson's Tree of Liberty (Spkg)
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2011年10月04日

『ドアーズ まぼろしの世界』 リザードキングを待ちながら

 ドアーズやジムに関しては結構書いてきたんだな。一応「ドアーズ」のタグがついてるものへのリンク。人に褒めてもらえるのは期待できないので、自分で褒めるけど、『グリンプス』のところでは、ちょっと面白いこと言ってる気がするよ!




 これだけ書いたので、さすがに今更書き足すことはあまりないような気もするけど、映画『ドアーズ まぼろしの世界』の感想を。
ドアーズ / まぼろしの世界 [DVD]
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 ドキュメンタリー部分の前後にジム・モリスンが自主制作したが、正規のシアターでの上映という意味ではまともな形で公開されたことがない映画『HWY』からのカットが巧妙に使われていた。

 冒頭で、ジムがヒッチハイクした車のカーラジオを聞くシーンに、ジムがパリで死亡したという音声をかぶせ、ラストでは LA WOMAN からMr. Mojo Risin'のリフレインを使い、さりげなくジム・モリソン生存説をほのめかしている。
 これはジムが消息を絶ったならば、この名前を使って連絡すると冗談めかして語っていた偽名で、Jim Morrison のアナグラムだ。

『HWY』の中身については『MOJO's Doors Page』さんを。


 ようつべには30分と比較的長いバージョンが上がっていて参考になる。ブートで出回ってたものから起こしたやつだろうから、画質がひどいのは勘弁してくれ。

 ジムがヒッチハイクしてるんだけど、普通あんな怪しいやつ乗せねーだろとか、車を止めることに成功した途端に次のカットで説明がないままドライバーがいなくなっていて、ジムが運転しているとか(殺したんだろうね)、いろいろと笑えたり。

 MOJO氏や野沢氏は、ドアーズに対する愛が嵩じてジムのこういう若書きとも言える仕事を素直に褒められない面もあるだろうけれど、オレには面白かった。


 ハイウェイに対するテーマ的な執着は、かつて『グリンプス』のところで書いたとおりだけれど、先住民の死体が散らばるハイウェイで彼らの亡霊に取り付かれた子供だと自分を語るジムが、映画の中ではヒッチハイクをして、自分を乗せた人間を殺してひたすら道を走っていきアメリカの荒涼とした風景を流し続けるという映像は、目を引くようなストーリーはないにしても十分に興味深い。ハイウェイと車にはジムの詩のさまざまな要素が散りばめられているのだから。


「インディアンたちが
血まみれの夜明けのハイウェイに散らばっている
亡霊たちが 幼い子供たちの
こわれやすい卵のカラのような心に 群がっている」
(PEACE FROG)

「路上には人殺しがいる」
「もしも、そいつを乗せるなら
お前の大事な家族は死ぬことになるだろう
路上には人殺しが」
(RIDERS ON THE STORM)

「大統領の死体は、にかわとタールの上でのたうつ車の中に」
(NOT TO TOUCH THE EARTH)


 ここにはアメリカの歴史が奇妙な形で折りたたまれて象徴化されているのだ。しかし、まったく一般性がないこともたしかで、全米○○館で大ヒット上映中とかいうことにはまったくなりそうもない。
いささか自意識をもてあました知性が、セクシーなロックスターとしてふるまうことを強要されていた一方で、本当にジムが表現したかったことはこういうことなのだろうと思うと、フラストレーションがたまるのも無理はない。


『HWY』には技術的に未熟なところはあるのだけれども、テーマ自体は明確に読み取れて、もし「ジムのその後」があったなら、この延長線上にさらに洗練された作品が出来ていたはずだと考えても不当ではないだろう。その時には CELEBRATION OF THE LIZARD も万全の完全な状態で歌われることだって出来るはずだ…。



『まぼろしの世界』本編に関しては、すでに見たことのある映像が多く、新しい絵がないという意見もあるようだけれども、現存するメンバーのインタビューすら扱わず、あくまで当時の映像のみをもってドキュメンタリーを作るという意思でやっている以上、そのあたりは仕方がない。
 ここで目指したのは衝撃の新解釈ではなく、ドアーズのオフィシャルイメージについてスタンダードを提示するということだろう。それ以上のことは、当面こっちで勝手にやっていくほかない。


 面白かったのはマイアミ事件後のアンチ・ドアーズキャンペーンがおこなわれた際に、コンサートでのジムの振る舞いについてショックを受けたというガキどもをインタビューしたニュース映像。 これまではファンだったけれどもみたいな言い方してるやつらまで含めて、そいつらがどう見ても今までまともにドアーズを聞いたことが無さそうにしか見えないツラ。現場にもいなかったんじゃないのか、お前ら。


 むかしは、ロックバンドとして見た場合にジョンやロビーの立ち位置ってのがつかめなかったところがあるんだけれども、ジョンのタメから連打へのタイミングが変則的なドラムや、フラメンコギターに素養をもつロビーのプレイは、ジムの要求する演劇的なステージにもっとも合致していたということがようやく分かってきた。
 ジョンの演奏なんか、今見ると本当にかっこよくて、ジムとの関係が万全の時にはスネークダンスを操ってるようにすら見えるんだよ。その辺が見えてくるとロングバージョンの LIGHT MY FIRE の間奏部分を聞くのがすごく心地いい。


 逆に言えば、ジムというカリスマを失ったときに、ポップス化を進めるロックの中で彼らが十分なポジションをつかめていたとは言いがたいのもそこに起因するんだろう。


 バンドの後期、ジムが急死する前の時期には、その創作力が衰えていたという言い方があるけれど、それはあくまでレコード会社主導ののアルバム製作のサイクルの中での話であって(エレクトラはいいレーベルだとは思うけど)、ゆっくりと思索にふける時間を与えれば、ジムはさらに熟練した技巧と、より慎重な言葉の選択によって、もっと高い水準の表現に達していたはずだと期待してもいいんじゃないか。
『HWY』は確かにそのことを予感させてくれる。
それが、ロックバンドのドアーズとともに行われただろうかというのは、やはり不明なところではあるんだけれど。
タグ:ドアーズ
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2011年06月09日

レイ・マンザレクのジム・モリソン(2)

 レイのファースト・ソロアルバム Golden Scarabに収録されたSolarboatという曲がある。
 曲のタイトルになっている「太陽の舟」とはエジプト神話において、太陽神ラーの乗り物であり、東(生の世界)から西(死の世界)をめぐり、死の世界を抜けて再び生の世界へ戻ってくる。循環型の世界認識において、死と再生を意味する装置である。

The Golden Scarab
The Golden Scarab

 そもそもアルバムタイトル自体も、スカラベ=フンを転がす姿と、太陽を移動させている神との類似によってエジプトにおける復活・不死性のシンボルとなっているフンコロガシである。このアルバム全体が死と再生というコンセプトを持っていることがうかがわれる。


そして再生という通過儀礼をはたした青年は私たちに真理を伝えにやってくる。これは、ひとつ前の曲He Can't Come Today,Maybe Tomorrow に明らかだ。

彼は実存に関する問いの答を知っていて、僕たちがなすべきことを教えてくれる。

僕たちは自身では無力であり、孤独を恐れ、指導者を、導師を必要としていている。

彼は今日には来れない、けれど明日にはもしかしたら。



 なぜ彼は今日来れないのか、それは青年自身もまだ魂の遍歴を重ねている時期だからだろう。しかし、もしかしたら明日には、あるいは五十六億七千万年のちには…

 I'm waiting for my Man.五十六億七千万年ね、昼寝をしながら待とうか、地球の長い午後に。彼を待ち望む曲のあとに、彼の旅がSolarboatで描かれる。

 この曲の歌詞には、レイがジムについての思いを歌ったとされるタイトロープライドや、ジムがレイに詩を読み上げてドアーズ結成のきっかけとなったムーンライト・ドライブなどのタイトルが織り込まれている。
青年は張り綱をみごとに渡りきり、月を中継地にひと泳ぎ。そして太陽へ。飛ぼう、限りのない空を。隠れる必要はない。there is no need to hide から想起するのはBreak on through から try to hide の一節。

 まだ彼がジムだと主張するのは強弁に見えるかもしれない。それならば、「全ての知友は太陽の舟に乗りあわせ、先の方にはニーチェとウィリアム・ブレイクが」
 ニーチェはジムが耽読した思想家であるし、ウィリアム・ブレイクはそもそもドアーズというジムが提案したバンド名の由来になった詩を書いた幻視者である。

 これはジムだと言って差し支えはないと思う。そして奇妙なことだなとも思う。まさにニーチェ的な意味でジムをディオニュソス、他のメンバーをアポロにたとえたりするような表現はよく見かける。しかし、太陽神の側にジムを引き付けて考えるというのはどうにも想像を絶するというか、こともあろうにあのジム・モリソンですよ。
 こんな風にジムを読む人間というのは少ないというか絶無だと思うのだが、それがジムにもっとも近いところにいたレイによっておこなわれたというのが興味深い。

 おそらく当時もっとも近くでもっとも客観的にジムを見ていたのがデンズモアだとすれば、もっとも近くでもっとも奇妙なジム像を描いていたのはレイではないか。ジム本人は嫌がったクリーガーによるTell All the People のカリスマ=ジム像なんかとはケタが違う救世主としてのジム。
 しかし、ぼくにはレイを笑うことが出来ない。浜辺ではにかみがちの青年が突然目の前でムーンライト・ドライブを歌い始めた時、レイの運命は決められてしまったのだ。詩人が初めてその翼を開いた日に立ちあってしまった男にだけ許される奇妙な思い込み。ジムのアルコールとドラッグによる破滅的な奇行もレイを打ち砕くことは出来なかった。

 解散後もドアーズについて語るとき、常に現在形を使っていたと指摘されるレイの言葉。それも彼からすれば当然のことなのだ。死は復活の前提に過ぎない。奇妙だよな、やっぱり。それでも…、どれほど強く見間違えることが出来るのかもまた一つの才能であり、ぼくはレイ・マンザレクの間違いかたがうらやましくてならない。

タグ:ドアーズ
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