2017年03月11日

鎖骨と「古代中国」

 まずは風野春樹氏のツイートから。




 某氏の
「Wikipediaで鎖骨について調べてたら、
『鎖骨』という名称は、古代中国で脱走を防ぐために囚人の体に穴を空けて鎖を通した場所がこの部位であったことに由来すると書いてあって恐れ戦いてる」
という内容のツイートに、風野氏が疑義を示したところから始まる。
 わたしも引っかかるところがあったので調べてみたが、たしかにWikipediaの「鎖骨」の項目にはそのような記述があるものの、「要出典」のタグが振られて、いままでそれに対応されていないのだ。
 それではと「鎖骨 古代中国」で検索するとけっこうヒットするものの、囚人由来とする記事は基本的にハンコのごとく「古代中国」で済ませていて、それ以上具体的な時代や王朝、典拠に当たれる内容が存在しない。それは、夏なのか、殷なのか、周なのか?誰が書いたなんという著作にその記述はあるのか?これらの記事は骨に関する専門的な知識、あるいは中国に関する専門的な知識の一部として示された知見とはとらえがたくどうにも典型的に「雑学」的な物言いという気がしないでもない。風野氏の調べによると中国のネット辞書『百度百科』に「奴隷の逃亡を防ぐため縄や鎖でつないだから」という由来が載っていて、日本でのこの説はここにたどり着くのではないかという気がするけれど、『百度百科』そのものでもやはり典拠が示されていない。

 検索を続ける。「骨」について学問的な立場から体系的に記述してあるHPでは、風野氏が指摘するように語源をClavis(鍵)としていて、これがclavicula(鎖骨)となり、『重訂解体新書』で杉田玄白の弟子である大槻玄澤が訳語として「鎖骨」を採用したとしている。なお当初の『解体新書』では漢方由来の欠盆骨表記であったという。
 東北大学整形外科教室
 船戸和弥のホームページ(慶應義塾大学医学部解剖学教室)

 現在日本で通用している言葉としての「鎖骨」は『重訂解体新書』由来のclaviculaの訳語であるとして間違いないだろう。ただし調べていく過程で、本家中国では宋代の宋慈による法医学書『洗冤集録』にまで「鎖骨」表記はさかのぼれるというのだ。これは中央研究院近代史研究所の張哲嘉氏の「『全体新論』と『解体新書』の漢字医学術語について」という文章によるものである。『洗冤集録』は1247年の著作であり、むろん『重訂解体新書』より圧倒的に早い時期のものだ。これはclaviculaの訳語ではないはずで、それではここでの「鎖」がどこから来たのかということが問題になる。
 とにかく四巻二十四章の「殺傷」に鎖骨についての記述がある。とはいえ、鎖骨という表現そのものについては特に説明がなく、鎖がどこから来たのかは本書から読み取ることは出来なかった。ある意味では「鎖骨」という言葉は説明不要で利用できる程度に宋代でも馴染みのあるものだったのだろうとも推測される。
『洗冤集録』を構成を変えつつ訳した『中国人の死体観察学 「洗冤集録」の世界』(雄山閣)に目を通してみて、第四章「骨の検屍」から「身体各部の名称」の節には鎖骨についての記述がある。ただしこれは原文では「髀骨」であり、訳で鎖骨とされているのだ。ここでは「欠盆」は鎖骨と肩胛骨のあいだにあるくぼみと表現されていることも見ておきたい。ラテン語から中国に入るというルートが可能ならば「重訂解体新書」と同じ起源と言えるので、楽なのだけれど、これも特定する情報が無いのでなんとも言いがたい。
 また引っかかるのは、宋代まで遡ることが出来るということは、逆に言うと、古代社会のエピソードを起源としながら、宋代まで、周の滅亡からとしても千四〜五百年のあいだ、鎖骨という言葉は使われていなかったのかという疑問が出てくる。

 ここで小川鼎三『医学用語の起り』を読む。「鎖骨と橈骨」という文章が収められており、ここで『重訂解体新書』での訳語の採用の話のほかに、明代の『外科啓玄』でも鎖骨という表記があったことなどを記したうえで、『大漢和辞典』において「鎖骨」が古くから中国にあった成語で「鎖のように相関連する骨」であると述べられていると書かれている。諸橋大漢和によると蘇軾が詩の中で「鎖骨」という表現をしており、これだと北宋期にはこの言葉があったという話になるのだが、これは医学上の用語と言っていいか。唐代の怪異を記した『宣室志』にも鎖骨という言葉は使われているが、これは「蔓のごとく連絡する」「菩薩が有する」とあり、人体の解剖学的な対象としての骨ではなく竜の鱗とか河童の皿とかそういう類のものと思われるので、今回の調べものの対象からは外すことにする。

 古代中国の囚人説を取りたいという場合には、確認可能な典拠を参照してからでも遅くないのではと考えます。


医学用語の起り (東書選書)
医学用語の起り (東書選書)

中国人の死体観察学―「洗冤集録」の世界
中国人の死体観察学―「洗冤集録」の世界

大漢和辞典 全15巻セット 別巻『語彙索引』付
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2017年02月12日

ちばぎんカップ 柏レイソル2−0ジェフユナイテッド千葉(2017年2月11日 日立柏サッカー場)

 ずいぶんひさしぶりの現地観戦ということで、会場入りするまでにオタオタしつつもなんとかキックオフに間に合いましたが、それにしてもほんと久しぶりの日立台。しかしアウェーに来ると本当にフクアリって恵まれた環境のスタジアムだなと思いますね。

 プレシーズンということで勝敗そのもので一喜一憂するものではないのですが、一方では、あの形でやって個人の能力差があればああいう形になるだろうという予想の範囲内で、負けて困惑する人はいないだろうという中身。出だしの攻勢を受け止められたあとにはWBの後ろとワンボランチの脇のスペースを気持ちよく使われるという展開で、基本になるフォーメーションが抱える問題をシーズンに入る前に柏にあらかじめ指摘してもらったという感じです。こういうのって相手チームの側から聞くべきことが多くて、レイソルのクリスティアーノの「最終ラインの統制が取られた、オーガナイズされた組織的な素晴らしい守備だと思う」というリップサービスのあとの「我々の前の4人に対してあのオーガナイズの仕方では裏を取られても仕方がない」というのが現状での正解でしょう(柏フットボールジャーナル)。

 J2相手ならあそこまでやられないだろうという考え方もありますが、それではあまりに狙いが低すぎる。3バックではWBが攻守にどれだけ献身できるかも問われますが、北爪には奮起してもらいたいところです。サイドチェンジの精度、カウンターの切り替え等課題はいくらでもある状態を見せてもらって、これがリーグ始まったときにどれだけ改善できているかという、そういう興味の枠内での試合、という感じでした。
第22回ちばぎんカップ試合結果(ジェフ公式)


 とりあえずこの日の収穫。
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 そして、このレプリカを引っ張り出すことになる日が来るとはということですよ。今日はベンチ外でしたが、公式戦で見れる日があるでしょうか。
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2017年01月30日

『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』柳澤健

 パックインミュージックには間に合わなかった世代なのだ。ラジオ聞くようになった小学校高学年のころにはすでに終わってた。ナチ・チャコは文化放送の夕方の番組で聞いていて、「この二人は深夜にTBSでやっていたんだ」と親に聞かされて、そうだったのかというくらい。わたしのころには深夜と言えばオールナイトニッポンが、絶頂期というと上の世代に怒られそうではあるが、二部に伊集院光があらわれたころである。ニッポン放送の圧勝という感じであり、TBSが互角に張っていた時期というのは感覚的にはピンと来なかった、そんな時期。
  しかしながら、先日馬場こずえについてちょっと調べたところから遡行する興味で、パックインのDJの中でも名前の挙がることの多い林美雄について読んでみた。

1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代

 冒頭の視点は林ではなくリスナーたち、そして彼らが林の『パックインミュージック』が終了することを知ることから始まる。最後のプログラムがあらかじめ明示されている構成である。入社後の描写では、まず若手アナウンサーが任されたという『朝のひととき』で、林が同期の宮内鎮雄を「お前の選曲には捨て曲がない」と批判したというくだりは面白い。その後人気DJとなる強烈な自負心がほの見える。林は入社前には池袋の喫茶店でDJのバイトをやっていたというのだが、そんなバイトが一喫茶店で成立するというのがなんというか余裕があった時代だという感じである。

 パックイン本体に関しては伝説レベルのデビュー直後のユーミン関連のエピソードが当然多く取り上げられてるんだけど、山崎ハコ登場時の話なんかもあって、そのときに「橋向こうの家」とかも歌ってるんだとか。ああ、それは聞きたい。

パックインがやはりメインなのでその後のことはサラッと触れられているだけだけど、林美雄が編成として関わった『スーパーギャング』で、月曜に起用した景山民夫には期待かけてたんではないかとわたしは推測していて、しかし特に立証できるような材料はないので直感でしかないのだけれど。
 ここで冒頭部分が聞ける『スーパーギャング』オープニング曲だった、景山の歌う「やつらを喋りたおせ」は、シャレの雰囲気をまとわせながらも、冒頭の「Speak out!」連呼になにがしかの深夜放送という、フリースピーチのメディア、カウンターカルチャーの残り香を感じてしまうのは、わたしの個人的な迷妄であってもいいのだが。林も景山も体を張った「闘争」には間に合わなかったり狭間にいた世代という引け目を引きずっていたという指摘はありうるのかもしれない。

 『パックインミュージック』は『オールナイトニッポン』に押され、ビートたけしにとどめを刺されたというのが一般的な結論になるのは妥当だろうが、林美雄に関しては本書にさらっと書いてある「サブカルチャーの水先案内人である以上、常に新しい若者文化を知っておかなければならない。林美雄は少女漫画やアニメーションを扱おうとしたが、最初から最後までうまくいかなかった」というあたりが後々のことも考えると大きいことでないだろうか。『パックインミュージック』において、これまで映画や音楽の方面でつねに新しい感性を発掘してきたが、キャリアの長くなりつつあった林と、新陳代謝で更新されてきた若いリスナーとの感性の齟齬がはじめて顕在化するのが『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版であるというのは、いろいろ示唆的であり、カウンターカルチャー、サブカルチャー、オタクカルチャーという文脈のある断絶を身をもってあらわしているようだ。

 苦い話もあるのだが、深夜放送のDJを通じて様々な映画を知り、DJとリスナーとのつながりを越えてリスナー同士が「深夜映画を見る会」を作り、やがてリスナーの共同体が出来ていくさまはラジオの、深夜放送の「媒介」としての機能を見せてくれる。それはサマークリスマスなどのいくつかの祭りを経て緩やかにほどけていくのだが、それが通過儀礼を経るということのはずだ。深夜放送がこのような役割を果たせた時代にいた人たちのことを、少しうらやましく思う。そして、コミューンは決して消えたわけでもないようだよ。
荻大ノート

もう一つの別の広場―深夜放送にみる青春群像 (1969年)
もう一つの別の広場―深夜放送にみる青春群像 (1969年)
タグ:ラジオ
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posted by すける at 23:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする