2017年01月06日

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』ギャレス・エドワーズ監督

 本編である『スター・ウォーズ』シリーズはこれまで一作も見たことがなかったのですが、スピンオフの位置づけであるという本作『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』については、ツイッターのTL上に流れてくるいくつかの言及を読んでみて、これならわたしにも見ることができるのではないかと思うにいたり、年末に劇場に足を運びました。



 結果は正解。最低限の知識として劇場版第一作である『エピソード4/新たなる希望』は見ておくべきという話も事前に聞きましたが、これをスルーしてもなんとかなりました。

 予告編を見ていた時点でカメラワークがおそらくはスター・ウォーズ本編とは性格が違うものだろうということは予測がついたのですが、カメラワークが違うということは、作品全体を貫く論理が違うものだということで、戦争映画に近いカメラワークは、英雄的なキャラクターとしての特権を持っていない、死にやすい身体をもった普通の戦士たちが担った闘いを描いた『ローグ・ワン』の物語としっかりと対応するものだったと言えるでしょう。

 こうした差異は、スター・ウォーズの根幹をなすフォースの作品内での扱いにも関わることで、ジェダイの騎士の存在しない、フォースの顕現しない本作においてこそ、結局のところ物理的な現象に還元されるような便利な超能力、ではなく、ドニー・イェン演ずるチアルートが提示したような、信仰の物質的な基盤が失われた場所において信仰するという、そうしたフォースというものがスター・ウォーズ世界での凡夫にとってどのような意味を持つのかということが初めて問われたのではないでしょうか。わたしが『ローグ・ワン』ならば見れるかもしれないと推測したのはこのような機微があったからでした。
 単体で動かせばややファナティックに見えかねないチアルートの横に懐疑的な姿勢を保つ友人ベイズ(チアン・ウェン)を配したことも、セオリー通りに効果的で、チアルートのフォース信仰はベイズによって常にチェックを受けつつ、最終的にベイズをも動かしていくという形で、より多層的に描かれていきます。

 最終決戦に挑むローグ・ワンチームでは個人の名前も初見では分からないままの成員もいましたが、それでも彼らについてのキャシアン・アンドーの言葉から、輝かしい反乱の指導者たちの影で、大義を支えに汚れ仕事を引き受けてきた経緯と、それゆえに上層部が大義を捨てようとするときにももっとも汚い仕事に手を染めてきた彼らこそが降伏を肯んじえないという「三軍も師を奪うべきなり 匹夫も志を奪うべからざるなり」という姿が見えてきます。
 登場人物についての描写不足は言及されるようですが、基本的にはこのように過去を推測するセリフがはさまれていて、おおむね想像の余地があるように描かれています。やや残念なところとして、登場人物同士の繋がりがありそうな部分は直接言及されるようなシーンがあってもよかったのではというところは実際あり、特にリズ・アーメッド演じる脱走パイロットのボーディーについては、帝国を離脱するに至る前に、主人公ジン・アーソの父である科学者ゲイレンとどのように接触していたのかというあたりの経緯はもうちょっと見てみたいところでした。ただそれも全編の価値を損なうことのないわずかな瑕疵に過ぎません。
 この作品が『新たなる希望』のわずかな時間の前で終わっている外伝的作品ということは前提としても、たしかに一つの作品として『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』は独立した価値を備えています。そして、ネット上ではこの作品に「続編」があることを知らない鑑賞者についての言及がときおり見られますが、それはまったくのあたらしい観客をより広大なスター・ウォーズの地平へ導くことの可能性であるのでしょう。そしてわたしは、ローグ・ワンのメンバーたちの成したことを引き継ぐべき「ルーク・スカイウォーカーとはどんな人物か」と聞きたいのです。
 あ、ジンを演じたフェリシティ・ジョーンズはじつにイギリスっぽい可愛さでしたね。


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アート・オブ・ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー
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posted by すける at 21:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・演劇・ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月21日

『馬場こずえの深夜営業』から『オーディナリーミュージック』へ

 カジヒデキと曽我部恵一がDJを選んで一時間まかせる、土・日曜深夜4時〜5時のTBSラジオの音楽番組『オーディナリーミュージック』12月18日分の放送は小西康陽が担当だったのだけれど、30分くらいのトークで『馬場こずえの深夜営業』にちょっと触れていて、この番組については去年の「SOUND AVENUE 905」をやっていた時にもフリーペーパーで言及してたんだよね。「深夜営業」の放送時間は土曜深夜の3時〜5時で、番組のBGMも流用しながら。なるほどこれはここの選曲だけではなく、番組公式のツイッターアカウントがリアルタイムで聴いてほしいという意味があるわけだと。

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『SOUND AVENUE 905』は「905」というタイトルからもワイドFM化を意識した音楽番組という印象が強かったんだけれど、佐野元春や小西康陽といったDJが記事で言及していたのは林美雄や糸居五郎、馬場こずえとかのAM深夜放送型DJだったことが興味深かった。その意味では、今回の『オーディナリーミュージック』は、小西康陽が去年語っていたことを、本来的な時間帯の中で実現した回だったと言えるかもしれない。

 わたしの方は小西の発言で「深夜営業」という番組を初めて知ったのだけれど、ファンの方がまとめた情報などを見るとけっこういい選曲をしている。「深夜営業」は歌謡曲路線の『歌うヘッドライト』にゆずる形で終了した『パックインミュージック二部』が終了した後の、たった一人の延長戦のようなものだったらしい。リスナーがまとめたプレイリスト見ると、パック二部最終回とかニール・ヤングのぶち込み方がすごいことになっている。深夜放送DJの路線としては林美雄の方向性だろう。

 それにしても『馬場こずえの深夜営業』って最近までまったく知らなくて、まあ75-78年の放送だったらしくさすがに小学生にもなっていないのではリアルタイムでも聞きようがないけど、『パックインミュージック』なら名前くらいはラジオを聴きはじめてすぐに知ることになるので帯の力は大きい。そういう意味では多分わたし以降の世代には知識としてあまり伝わってないんだけど、聞いてる人それぞれには直接に大きな影響を与えていたんだろうというDJや番組が、時代をはさんでふと立ち上がってくる時間でした。人から人に伝わったものが、また人を介して伝わってくる。歴史があるのはいいものだと。

















1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代
1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代

パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命
パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命

もう一つの別の広場―深夜放送にみる青春群像 (1969年)
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タグ:ラジオ
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posted by すける at 00:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月02日

『ゴッド・ガン』バリントン・J・ベイリー

『シティ5からの脱出』以来、日本オリジナルの編集で二冊目のベイリーの短編集が出たぞ、すばらしい。 もともとは『神銃』にゴッド・ガンとルビを振るという予定もあったようだけれど『禅銃』とまぎらわしいという理由でこの形になったとか。うーん、それで並べてみるのもかっこいいと思うんだけどな。ともあれ、最愛のSF作家ベイリーの短編が読めるのだから、もう嬉しいことこの上ない。


ゴッド・ガン (ハヤカワ文庫 SF ヘ)
ゴッド・ガン (ハヤカワ文庫 SF ヘ)

 本書の解説では、ベイリーの描く科学者像について、ムアコックの「十八世紀の自然哲学者に近い」という言葉が紹介されているが、個人的にはベイリーのある種の作品における登場人物の会話って、近代文学の登場人物の会話じゃなくて、ソクラテス前後のソフィストたちを含めた自然哲学者たちが世界をいかに捉えるかを語り合った、その対話みたいなところがあるよなとあらためて思ったり。とくにエレアのゼノンが提示した四つのパラドックスの思考法は結構直接的に影響があるんじゃないだろうかと思っている。
 イギリスの作家リース・ヒューズはベイリーが亡くなった後に寄せた文章で、「ベイリーはパルプ雑誌のボルヘス、スペースオペラのゼノン(Bayley was a pulp Borges, a space opera Zeno)」と表現している。ベイリーを評するにあたって「SF界のボルヘス」という言葉はよく聞くが、「スペースオペラのゼノン」もまた、ベイリーの特質を直接伝えているだろう。

 作品で言えば『シティ5からの脱出』に収録されている「宇宙の探求」の最後の議論で主人公が持ち出す「ものはそれ自体と同一である」という命題に対し、チェス人が返す「ものは運動し、運動は自己同一性にわずかなぼやけを起こす」「(主人公の)原理が絶対的な法則として通用するのは、運動の不可能な宇宙においてのことにすぎない」というくだりのやりとりは、ゼノンの第三の逆理として知られる「飛矢静止」の思考だろう。『ゴッド・ガン』収録作では「地底潜艦〈インタースティス〉」で見られる、地底を進む無限運動(に近いもの)は「競技場」をベースとした「二分割」のパラドックスが着想の淵源のひとつとなっているという気がする。厳密には違うけれど。

 作品をセレクトした大森望によると〈船篇〉としていくつかの作品が割り振られているということらしく、短編に直接「船」と関わるものが冠されているだけでも「地底潜艦〈インタースティス〉」「空間の海に帆をかける船」「死の船」「災厄の船」と並んでいる。むろん船というのは旅というモチーフのなかで多くの文学作品で何度も使われてきたものではあるが、船は海という空間と人間とをつなぐ点であり、そしてベイリーの作品において「空間」とは、しばしばわたしたちの日常性の延長での把握とは違う形で考察されるものだ。だからこそその空間に対応する「船」が必要になるのだと言えるだろう。ファンタジーである「災厄の船」はやや性格が違うが、他の三篇の「船」がいずれも通常の空間とは違う形での移動を為していることを見ておきたい。

 それにしても、この年になって表題作を読むと、「神を殺す銃」という壮大なハッタリを楽しむと同時に「ぼくは会計係として、ロドリックは(いかにも彼らしい才能の浪費だが)地元テレビ工場に勤める設計技師として。両者ともに、さしずめ知的ディレッタントというところか」というくだりから、なんとはなしにほろ苦い感情を想起させられたりもする。また「邪悪の種子」では、登場人物が乗るヨットにルディ・ドゥチュケの名がつけられているのだけれど、ドゥチュケとか久しぶりに名前を聞いたな。こういうところのベイリーのセンスってひねくれている。
 奇想でもって彩られた作品群に、異星生命の性愛を軸にしたライフサイクルと、その外側に惑星をめぐる大きな環境の転変の可能性もほのめかされるあたり、ちょっと「愛はさだめ、さだめは死」を想起させる「蟹は試してみなきゃいけない」が、ちょっと違う味わいを与えてくれたり、この短編集はベイリーファンにとっての素晴らしい贈り物になった。願わくは、いまだ未訳のいくつかの長編も日本で紹介が進むようにと。




ゼノン 4つの逆理―アキレスはなぜ亀に追いつけないか
ゼノン 4つの逆理―アキレスはなぜ亀に追いつけないか
タグ:ベイリー
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posted by すける at 10:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | SF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする