2024年09月07日

『史記 武帝紀』北方謙三

『楊令伝』を読み終えて、クールダウンするためにすぐに『岳飛伝』にはいくまいと決めていて、それではということで『史記 武帝紀』をはさむことにする。大水滸伝の流れからは外れるが、図式としては対応するものがあるというのが事前の読み筋になる。
 とりわけ梁山泊の経済基盤となった塩の密売から楊令期に大きく展開された自由経済による発展という在り方に対して、塩鉄会議に至る桑弘羊の統制経済策が一方の極に立ち、対匈奴での領土拡大はやがて来る『チンギス紀』の巨大版図と裏表になるだろうと。


 とはいえ、そんなに読み通りに話を動かしてくれるほど素直な展開でもなく、武帝の経済政策は具体的な面においては桑弘羊に丸投げという形で、むろんトップはそれでいいと言えばいいのだが、他人が皇帝である自分のやりたいことのために察して動くべきだという傾向が強すぎ、衛青のような将軍もそうした野心を代行するといった形での軍へのかかわり方になっている。霍去病だけは少し違うのだが、基本的には群臣みな武帝の顔色をうかがいながら物事を進めるという様子。
 だが、この様相が5巻から一気に変わることになる。これまでの対匈奴戦での優勢を失い、李陵が降り、蘇武も捕らわれるという情勢下で司馬遷は宮刑を受ける。漢王朝の論理の中で生きていた人々が、なにかしらそこで外れるような生き方をしていかざるを得なくなり、ここで個人というものが一気に噴出してくる。なるほど中島敦がやりたかったというのがよく分かる。とりわけ印象的なのは蘇武で、降伏を拒み流されたバイカル湖のほとりでただ一人で生き抜くというためだけの闘いを始める。この巻は印象的とする読書も多く、冬の夜の空が割れる描写の中でただ極寒の中を生きていく蘇武の姿と、なんとなく目的はあるが、そこへ向かっての道筋をもはや描けない漢軍の姿は実に対照的になっている。
 6巻では酷吏である江充に一瞬だけ視点が移るときがあり、武帝期に酷吏が存在感を増してきた側面があり、この作品でも描かれているのだが、おもに武帝の使役(用が済めば断罪)対象としてであり、ここで江充が主体として現れるのは全巻通して不思議なポイントだった。なお、諸星大二郎が扱って「無面目」を描いていると知る。

 後半部には匈奴社会とその変容についても多くページが割かれており、これは北方らしいと言える。終盤に至り、武帝のために生き、戦費調達のための経済政策を展開し結果として武帝のために国政をゆがめてきた桑弘羊が霍光に新しく政治を正す手段を示唆し、武帝によって起こった大きな物語が閉じていく姿を見せる中で、この物語は当初予想していたような図式に重きを置いたのではなく、人間に向き合う話だったことが突きつけられた。



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2024年06月28日

『荊楚歳時記』と武陵太守

 タイムラインに七夕とそうめんとの関係について触れたツイートが流れてきたので、触発されて『荊楚歳時記』の七月七日の項目を開いて眺めていると、訳注に、漢末に荊州牧劉表が武陵郡太守劉叡という人物に天文象占を集めしめ、荊州占と名付けたという文章があり、誰やこれとなる。


劉叡、『晋書 天文志』に記される人物ということで『三国志』には名がないようだ。荊州南部の人事知らないことが多い。
 劉表期の武陵太守となると劉先という人物が曹操の下に派遣されたあと武陵太守となっている。この後赤壁戦後劉備に制圧されるころには、任命に至る経緯不明で金旋がついているのだけれど、劉叡の任期としては時系列上どのあたりに位置するのか。

 なお荊州占については、南澤 良彦「王粛の災異思想」という文章があった(https://doi.org/10.14989/234375)。
 『荊楚歳時記』訳注には「後漢の末ごろ、少なくとも荊州方面では織女星の明暗出没によって行う占いがあったものと思われる」ともあり、こういう習俗を活かした三国志の描写とかどこかで読んでみたいと思う。


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2024年01月30日

『周公旦』酒見賢一

 過日逝去した酒見賢一が周の周公旦を描いた長編。

 孔子が尊敬したという人物であり、大部となった『陋巷に在り』とついになる作品だと思うが、短くまとまったこちらのほうが狙いは簡明に見えるかもしれない。

 導入がすごく面白い。

 理想社会であるはずの周王朝が、その創業時に伯夷・叔斉を餓死に追い込まざるをえなかった矛盾から、『史記 列伝』の巻頭に「天道是か非か」と置いた司馬遷の問いに連ねて、楚辞「天問」におけるたたみかけるような世界への疑問をならべて措く。驚くほどの正攻法ではないか。人間にとって天とは何か、世界とは何か。


 話の核になる部分はわりと単純であり、殷周革命成功後の周公旦が一時楚に赴いたというこれも史記の簡素な記述から展開するものだが、ここで黄河文明とは異質な長江文明について取り上げることになる。

 周公旦は長江文明と交通するにあたって「礼」をもって行う。作品単体の分量としては少なくとも、ここで示された構図には普遍性があり、『陋巷に在り』にもつながるし、あるいはこれから現れるかもしれなかった作品のありようを暗示するかもしれない。「天問」を書いた人格とされる楚の屈原は秦の勢力伸長下に長江に身を投げる。長江の底で、屈原はなにに会ったのだろうか。


 それにしても、もう顔回には会えないのだ。

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